一ミリに対するは千五百七十ミリ、人智を超えた静かなる戦い。

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わたしはノイローゼになりかけている。このままでは心神耗弱状態となり、著しい判断能力の減退が予測されるわけで、どうにかして健全なメンタルを取り戻したいのだが、いかんせんその方法がわからない。

ノイローゼの原因は、チャタテムシだ。二週間前くらいから、漆喰の壁をチロチロと歩く白い小さな点が現れた。実際にはもっと前からはびこっていたのかもしれないが、この目でその動向を視認したのはつい最近のことだった。

当初はコロコロでローラー作戦を敢行したり、マイペットで漆喰をこすりまくったりと、出来る限りのチャタテムシ根絶に尽力した。その甲斐もあり、しばらくは小さな白い点を目にすることはなかったのだ。

ところがここ数日、あの忌々しいチャタテムシを目撃する機会が増えた。・・あいつらは高温多湿の薄暗い場所を好むらしい。だからこそ、エアコンと除湿器をフル稼働させ、照明も24時間煌々と照らし続けていたのだ。それなのになぜ、またしてもあいつらが復活してくるとは、わたしは怒りを通り越して恐怖を覚えた。

 

昨夜など、恐怖どころか発狂からの絶望に打ちひしがれた。そのせいで一睡もできなかったのが、何よりもの証拠。

いつもの如く、朝日が降り注ぐ早朝にわたしはベッドへと横たわった。一般的な社会人や学生にとっては一日のスタートとなる時刻だが、不健全で非社会的なわたしはここからが睡眠時間となる。

眩しい太陽と爽やかな青空、そして鳥のさえずりやトラックのエンジン音を聞きながら静かに目を閉じる——が、案の定、眩しすぎて眠れる気がしない。ここはやはり、アイマスクで遮光するべきだろう。

 

コンタクトを外したわたしの視力は、検査機器では測れないほどの強度近視のため、目で見ることはせず手で触れることで物を判別している。とはいえ、寝ながら手を伸ばせば届くところにアイマスクを引っかけてあるので、目が見えようが見えまいが関係ないのだが・・。

こうして、手繰り寄せたアイマスクを装着しようとした瞬間、なんとなくアイマスクの内側を見た。その行為の裏には、「漆喰の壁に接する形でぶら下げていたアイマスクだから、もしかするとチャタテムシがうろついているかもしれない」という、一抹の不安があったのは確か。だがそれ以上に、「まさかアイマスクにまでくっ付いているはずはない」という、楽観的な憶測というか願望があったのも確かだった。

そして、不安を安心に変えるべく、わたしは裸眼でアイマスクの繊維を凝視した。視力的にも両目で物を捉えることはできないため、片目をつぶり一つの目に意識を集中させて睨みつけてやった。

 

——アイマスクとの距離、およそ1センチ。瞬きをすればまつ毛が触れるほどの至近距離で、わたしはまさかの事態に血の気が引いた。そう、まさかのチャタテムシが一匹、ノコノコと動いていたのだ。

 

もしもわたしが、アイマスクの表面を確認しようなどと思わなければ、何も知らずにチャタテムシごと装着していただろう。いや、未だかつて「アイマスクにチャタテムシが這っているかもしれない」などと疑ったことすらないわけで、恐るべき偶然というか起こるべくして起きた必然というか、とにもかくにもチャタテムシがいたのである。

(こいつら、一体いつまで居座るつもりなんだ・・もう七月だっていうのに)

噂では"梅雨時の高湿を狙って発生する"と聞いたが、もう夏のような気候であるにもかかわらず、まだ活発に生きているではないか。まさか、これから一生こいつらと共存しなければならないとでもいうのか!?

 

ため息をつきながら、わたしはコロコロを取りに立ち上がった。そして冷静かつ確実にチャタテムシを転圧してやった。

——おまえたちに恨みはない。だが、われわれ人間と共存することは難しいのだ。なぜなら、おまえはわたしに価値のある何かをもたらさないじゃないか。イライラと不快と不潔と、そういったネガティブな感情しか与えない時点で、おまえらと手を取り合って生きることなどできないのだ。

 

それにしても、たった1ミリの見落としてしまいそうな小さな点と、1,570ミリもある立派なニンゲンとが、対等に戦っているのだから恐ろしい。そしてなぜ、ニンゲンはこのような小さな点に畏怖の念を抱くのか、まったく不思議である。

 

 

こうしてわたしのストレスはたまる一方で、ノイローゼからの心神耗弱状態となるのも時間の問題だろう。

本物の夏が訪れれば、あわよくばあいつらとおさらばかもしれないが、科学技術が発達した現代においても「打つ手がない」というのは、なんとも惨めで哀れな気持ちになるのであった。

 

Illustrated by 希鳳

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