チッ、なんでこんな陰湿で弱っちいムシにビクビク怯えなければならないんだ——。
わたしは今、自宅の壁(白い漆喰)をチロチロと動く、1ミリ程度の小さな灰色の虫を睨みつけている。そう、こいつの名前はチャタテムシだ。
チャタテムシは別名「本シラミ」と呼ばれており、古本を開くと紙面を歩く奴らに遭遇することがある。ジメジメした薄暗い環境を好むチャタテムシは、古本に限らず古新聞や段ボールにしがみついて生きているらしい。
そして高温多湿な場所で生息するため、まさに今時分にニンゲン界隈を活発に動き回るのだ。不運にも、打ちっ放しのコンクリートでできたオシャレハウスのわが家は、フローリングがブヨブヨに腐るほどの"大結露"が自慢である。そのため、チャタテムシは大喜びでわが家に住みついているわけだ。
(・・く、くそぅ!ジメジメした暗闇で生きるようなムシ相手に、なぜこのわたしがひるまなければならないのだ)
これは言うなれば、明るい日の下で生き生きと暮らす"リア充の鏡"のようなニンゲンと、大好物なカビを求めて高温多湿の不快な環境でひっそりと生きる"引きこもりニート代表"のチャタテムシの、壮絶な戦いである。
相手は小さい・・いや、小さすぎるため、ゴキブリを発見するかのように簡単には見つからない。そのため、トイレで座っている時などに「ん?なんか動いたような・・」という程度の違和感で、ヤツを捉えなければならないのだ。
それなのに、ふと壁を見ると確実に一匹・・二匹のチャタテムシが這っている。番(つがい)なのか先輩後輩なのかは分からないが、つかず離れずでチロチロ歩いているではないか。
(ぶ、ぶっ殺してやる!!!)
ティッシュを手に取ると、二匹のチャタテムシめがけて鉄拳を振り下ろした。——手ごたえは・・・ない。だがティッシュをひっくり返すと、そこには白っぽい小さな粒が二つ、寄り添うように貼りついていた。
こんな、鼻息一つで吹っ飛びそうなチンケなムシに、なぜ我々が脅かされなければならないのか。何千年にもおよぶ潜在的な遺伝子情報によるものなのかは不明だが、どうにも腑に落ちないわけで。
ちなみに、チャタテムシは弱い。しかも、類まれなほど劇的な弱さだ。おまけに、ニンゲンに危害を加えることもなければ、刺したり噛んだりして血を吸うことも毒を注入することもない。
まさに"人畜無害な小さな白い点(ドット)"であるにもかかわらず、無駄に徘徊することでニンゲンに見つかり殺されるのだから、なんとも哀れである。
「オレたちがオマエらに、いったいなにをしたというんだ!?」
死に際に彼らは、きっとこう叫んでいたはず。たしかに、ここまで激弱な存在なのだから、放っておいても数日後には死骸となってどこかへ吹き飛ばされるだろうに——。
だがチャタテムシは、天敵である蜘蛛やツメダニのエサとなりうることや、アレルギー反応の原因となる可能性もあるため、無抵抗かつ無害であることは承知の上で殺さなければならない。
こうして、小さき者たちの悲痛な叫びを受け止めながら、わたしは手あたり次第に鉄槌を下した。
——この世には、無抵抗の弱者であっても排除しなければならない、ある種の不条理が存在するのだ。おまえたちのような、脳みそ空っぽの小さなムシに向かって「分かってくれ」とは言いやしない。だが来世でニンゲンに生まれ変わったならば、わたしがどれほど辛い思いでおまえたちを葬ったのか、きっと分かるだろう。
目につくチャタテムシを惨殺したわたしは、奴らが好む「高温多湿」という条件をぶち壊すべく、エアコンのスイッチを押した。
(19℃強風・・っと)
さっきまでジメジメしていた室内が、急にシベリアのような凛とした冷たさに見舞われた。湿気を帯びていた空気があっという間にキリッと引き締まり、カビもチャタテムシもとてもじゃないが生存不可能な環境が出来上がったのである。
*
こうして、偉大なるニンゲンと極小貧相なチャタテムシとの聖戦が終わった。
そもそもの発端は、わたしが電気代をケチってエアコンを付けなかったことにある。そのせいで無駄な戦いを繰り広げたのだから、これからは365日エアコン全開で快適な環境を維持することを誓おう。
それこそが、討ち死にしたチャタテムシたちへの、せめてもの弔いなのだから——。
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