わたしは今、缶ビールを飲んでいる。
ビールに限った話ではないが、アルコールというのは控え目にいっても「毒」なわけで、百害あって一利もないことは明白。なぜなら、アルコールは人間にとって有害物質以外のなにものでもなく、生理的にみてそれが健康にいいわけがないからだ。
体内に流れ込んだアルコールは、肝臓で「アセトアルデヒド」という有害物質に分解され、最終的には水と二酸化炭素にまで分解された後に体外へと排出される。しかし、肝臓が一度で分解できるアルコール量は20グラムとされており、時間にして4~5時間を要する。
20グラムのアルコールというのは、ビールならばロング缶一本(500ミリリットル)、ワインならばグラス2杯(200ミリリットル)、日本酒ならば1合(180ミリリットル)程度の量である。それ以上飲めば、それだけアセトアルデヒドが体内に蓄積する時間が増えるわけで、言い換えれば「有害物質を長時間、体内に留めておくこと」になる。
さらに、肝臓は疲労回復にとって重要な機能を担っており、アルコールを分解することに労力を割かれた結果、肝機能が低下してしまう。こうしてエネルギーを生み出せなくなれば、脂肪まみれの体となるのは想像に難くない。
くり返しになるが、肝機能は解毒や代謝といった人体にとって重大な働きをするため、これらの機能が低下すれば、全身が疲労状態に陥るのは当然のことである。つまり、アスリートに限らず日常的に運動を行う人は、アルコール摂取をやめたら驚くほどの疲労回復を体験することができるのだ。
当たり前だが、生きるためには毒を体内に寝かせておくことはできない。つまり、アルコールの分解が最優先で行われた結果、疲労回復は後回しにせざるを得ないのだ。
沈黙の臓器と呼ばれる肝臓は、せっせと解毒分解吸収を行うも文句ひとつ言わない。だからといって、それが正しいとはならないのである。
どうせなら疲れていない体でいたい。さらに、どんなパフォーマンスでも最大を発揮したいと考えるわたしは、日頃からアルコールは飲まない主義。
ところがこの一か月、膝を傷めてからというもの、一切の身体活動が停止された。「下手に動かして、症状を悪化させてはならない!」と言い聞かせた結果、それはただ単に堕落の一途をたどる手助けをしたに過ぎなかったのだ。
体重計になど乗っていないのはもちろんのこと、「動けるようになったら痩せればいいや」と決めたわたしは、毎日、糖質や炭水化物を食べ続けた。チョコレート、パンケーキ、生クリーム、スナック菓子、チーズケーキなどなど、動けるようになったらやめることを誓った甘い食べ物を、際限なく食べ続けていた。
そして今日、とうとう缶ビールのプルタブに指を引っかけてしまったのである。その名は「アサヒ生ビールマルエフ」。
ちなみに、同サイトにある「アサヒ生ビールの歴史」によると、
1986年、「ユウヒ(夕日)ビール」と言われるくらいの低迷期だったアサヒビール。
開発者は不死鳥のような復活の願いを込め<マルエフ>という開発記号でビール造りに取り掛りました。ビールの味はわからないと言われた時代に消費者の味覚を信じて、多くの試行錯誤の末「コクがあるのに、キレがある。」という、それまでになかった、全く新しい味が生まれました。
<マルエフ>はアサヒビールを代表するブランドとして「アサヒ生ビール」という名前で売り出されヒット。開発者の願い通り、アサヒを飛躍的な復活に導きました。
その後、スーパードライが発売され、その陰でアサヒ生ビールの一般向けの缶は終売となりましたが、ファンにより根強く支持され一部飲食店で飲める「幻のアサヒ」として愛され続けました。
2021年、そんなアサヒの王道ビールが、みんなの心にあたたかな灯をともし、日本にぬくもりをもたらすため、復活しました。
ちなみに<マルエフ>の<エフ>は、フェニックス(Phoenix)がもともとの由来でしたが、
頭文字が<P>であることに後から気づき、幸運(Fortune)という由来にひっそり変えたのは秘密です。
という裏話があるのだそう。ビールに興味のないわたしだが、このような苦労話や開発秘話を聞くと、どうやら感情移入してしまいその商品が好きになる傾向にある。
(どうせまだ運動はできないんだ。今のうちに不摂生を極めてやろう!)
――そうだ。今しかできないことをやろう。明日の朝、わたしはもう目覚めないかもしれない。ならばまぶたを閉じる前に、今できる最高をやり尽くそうじゃないか!
こうしてわたしは、次々とマルエフを空けていくのであった。
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