すずむしのなく頃に

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ーーヤバい。マジでこうなるのか。後悔先に立たず、とはこのことだ。

 

わたしの右耳から鈴虫の鳴き声が聞こえる。そして右耳を抑えると、その音量がかなり小さくなる。

最初は気のせいだと思っていたが、確実に音が聞こえるわけで逃げ場がない。

 

これは射撃アルアルだ。

クレー射撃をする際、ほっぺたに銃床(じゅうしょう)と呼ばれる木でできた銃の一部を当てて撃発を行う。

そして引き金を引くと、バンッとものすごく大きな爆発音とともに散弾が発射される。明らかに、耳から超至近距離で爆発音がするわけで、耳栓をしていなければ耳がイカれるほどの破壊力を持つ。

他の誰かが撃つ姿を近くで見ているだけでも、耳栓を忘れた時にはキーーーンという無機質な金属音がしばらく離れない。

 

耳栓にもいくつか種類があり、イヤーマフと呼ばれるヘッドフォンタイプのものから、耳の中へ突っ込むイヤープラグまで、様々な形状・材質の商品が販売されている。

中にはイヤープラグをした上で、さらにイヤーマフをするという完全防備のシューターを見かけることもある。

 

当時は、

「イヤーマフが銃床に当たるから、射撃がしにくい」

「汗をかくと余計に暑いから、イヤーマフはしたくない」

という理由でイヤーマフを避けていた。代わりに、二種類のシリコンをこねて混ぜ合わせ、自分の耳に押し込んでしばらく放置することで完成する、完全オリジナルのイヤープラグを愛用していた。

実際に撃発音はかなり食い止められ、耳がキーンとなることもない。イヤープラグは耳の中にスッポリはまっており、見た目も悪くないので気に入っていた。

 

そして射撃場へ行くと、当たり前のように年配シューターの耳が遠いことを知る。声をかけても無視されるので、最初のうちは

「新参者だから嫌われているのだろう」

と勝手に思い込んでいた。だがそのうち、嫌われていることが原因ではなく、耳が遠いことが原因だと知った。

むしろ耳が遠くなったため、耳栓すらせずに射撃をしている人を見て逆に驚かされたこともある。

さらに悲惨な実話として、

「狩猟の最中に仲間が急に撃発したため、耳栓が間に合わずに耳をやられた」

という話も、何度となく聞かされた。

 

このように「耳」というのは、一度やってしまうと完全修復が困難な器官のようで、「とにかく耳栓をしろ」と口酸っぱく言われるのだ。

 

いずれにせよ、お手本となる先輩がたくさんいたにもかかわらず、わたしは耳栓の認識が甘かった。オリジナルのイヤープラグをしているから大丈夫!と、高をくくっていたのだ。

それにしても、せめて70歳で「鈴虫」ならば諦めもつく。だが今この歳でこんなことになるなんてーー。

 

突発性難聴という完治の難しい病に侵されたショックを抱えながらも、気持ちを落ち着かせようと外気を吸いにベランダへ出た。

 

リーンリーンリーン

 

さっきより鮮明に、さらに大きな音で鈴虫の声がする。まさかと耳を澄ますと、目の前の公園あたりからその音は響いてくる。

左耳をそちらへ向けると、たしかに鈴虫の声が聞こえる。もちろん、右耳でも聞こえる。

 

そう、本物の鈴虫が鳴いていたのだ。

そしてデスクから見て右耳側にベランダが位置していたため、さっきは右耳から聞こえてきたのだ。

 

ーー季節は秋。鈴虫も華麗な歌声を披露する時期。

 

とりあえず、あれほどまでに絶望を感じ、悲劇のヒロインになりきった数分間を、どうか返してくれ。

 

 

サムネイル by 鳳希(おおとりのぞみ)

 

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