ストレスでしかない、コピー機との対峙

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新年の初仕事は、コンビニのコピー機でコピーを取ることだった。

そもそも、仕事の資料は電子データで管理しているため、紙の書類を扱うことなどほぼないに等しい。だからこそ、24時間365日対応できると豪語しているわけで、これもすべてインターネット上でデータ管理ができるからこそなせる業である。

 

ところが、プライベートとなるとそうもいかない。とくに厄介なのがピアノのレッスンで使う教本だ。大体一回のレッスンで4曲くらいをみてもらうのだが、3~4種類の曲集から一曲ずつ弾くため、本が厚ければそれだけ重たい荷物を持ち歩くこととなる。

中でも、ショパンのポロネーズがまとめられた曲集があり、わたしはその中の一曲しか弾かないにもかかわらず、毎週16曲分の分厚い本を持ち歩くことに、ある種の筋トレを想起させられていた。

(帰省の際にこれらをすべて持って行ったら、いったい何キロのおもりになるんだろうか・・)

ということで、実家でピアノの練習をする可能性を考えたわたしは、現在取り組んでいる曲のみをコピーして持ち歩くことにしたのである。

 

もっと早くそうすればよかったのだが、どうせ近所でのレッスンだったので、ちょっと我慢すればいいか・・というめんどくさがりの発想でここまできてしまったのだ。

 

 

それにしても、コピー機というのはこの20年変わっていないのではなかろうか——。

近所のナチュラルローソンへやって来たわたしは、何年ぶりかにコピー機と対峙した。コピー機の隣にあるチケット発券機は最新式の様子だが、このコピー機に関しては懐かしさというか、親しみを覚えるわけで。

 

さらにここでは、コピー代を現金、しかも小銭で支払う必要があった。普段ならば「時代錯誤の悪の権化だ!」とか「キャッシュレス社会の足を引っ張る、諸悪の根源だ!」などと散々罵倒するところだが、コピー機が20年前と同じなのだから、キャッシュレスでなくても不思議と嫌悪感はなかった。

そこで大人しくレジへ向かうと、一万円札を小銭に崩してもらいコピー機のコイン投入口へと流し込んだ。

 

しかし、思っていたよりも近代化されていたことに驚いたのは、一度読みこんだ画面をモニターで確認し、それからプリントするという"二段階工程"だったことだ。

コピー機といえば、読みこんだ画像をそのまま紙へ印刷するものだと思っていたが、今どきの複合機は読み込んだデータを画面で確認した上で、そのままプリントするもよし、やり直すもよし・・という選択が可能となっていた。

(PDFにするのと似たようなものか・・)

まぁどうでもいいやと、スタートボタンを押して紙へとプリントしてみた。

 

(・・見開きの浮いた部分が、歪んでる)

当たり前だが、本の中央部分は各ページが背で束ねられているため、若干めり込むように作られている。そのため、読み取りをする面の中央部分がやや浮いてしまうのだ。

このような歪みをなくすためにも、コピー機のフタをギュッと押さえつけて隙間を少なくし、なるべく平らな状態でコピーを行う必要がある。・・なんてことは、小学生にも分かることではあるが。

 

さらに、左右上下の余白がきれいにハマらなかったり、見開きの左と右とでバランスに微妙な差が出たりと、わたしはこういう作業が心底不得手であることを痛感させられた。

(クソッ! マジで誰かに頼みたいわ・・・)

事務職を下に見る勘違い野郎は、一度、自身で書類のコピーをして事務担当と比較してみるといい。書類のコピーなど単純作業であることに違いはないが、思っている以上に簡単ではない・・というか、読み手の気持ちになってコピーをすると、想像以上に神経を使う作業であることを思い知らされるからだ。

「コピーなんてバカでもできる!」

もしもそう嘲笑う低能がいたら、是非ともお目にかかりたい。バカが行ったコピーと、手練れが行ったコピーとがどれほど違うのかを、是非ともお見せしたいものだ。

 

・・などとブツブツ呟きながら、わたしはせっせと20ページ分の楽譜をコピーした。

幸いにもコピー機を待つ客もいなかったので、ストレスなくコピーを終了させることができたが、わたしはとことん「こういう作業は性に合わない」ということで、正月早々どっと疲れが出たのである。

 

 

だが本当のストレスというか疲労は、この後に待ち構えていた。思わず酒に手を出さなければやってられないほど、極度のストレスを味わうこととなったのだ。

 

サムネイル by 希鳳

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