理性と本能の大葛藤の末に

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やはり人間には、生まれながらに先祖の血が騒ぐ"DNA"が存在するのだろう。あぁ、またこの国へ帰って来たんだ・・とホッとするような、それでいてうんざりするような馴染み深い祖国の感覚。とくにこのジメジメした多湿な気候について、個人的には不愉快でしかないわけで、どれほど皮膚が白く粉を吹こうが笑うたびに唇が割れようが、ラスベガスの乾燥した空気が懐かしい——。

などと感慨に耽りながらも、祖国のチカラは絶大だと感じざるを得ない出来事に遭遇した。それは、アメリカ滞在中は見向きもしなかった「とあるもの」に、無意識に手を出す行為だった。

 

 

じつはわたし、アメリカへの手土産として、日本を代表する菓子「抹茶味のポッキー」を持って行ったのだ。しかも通常のポッキーではなく、ご当地ポッキーでよくあるビッグサイズのアレ。

わたし自身が抹茶マニアのため、誰にもあげなかったとしても"喜んで自分で食える"という理由から、スーツケースの奥で大切に寝かせておいたポッキー宇治抹茶味。案の定、誰の手にも渡ることなく無事に帰国の途に就いたわけだ。

そしてこれは、あわよくば友人への土産にしようと画策していたわけで、箱を開けてみると、まぁまぁ綺麗な状態で18本のポッキーたちが佇んでいた。

 

・・と、ここまでは普通の流れであり、とくにおかしな部分は見受けられない。だがまさかの嫌な予感は、次の瞬間に的中してしまったのだ。なんとわたしは、おもむろに個包装されたポッキーを破り開けると、躊躇なく食べ始めたのである

 

自分のこととはいえ、これをもっとも恐れていたわたし。気持ちとしては、「ラッキーなことに18人分の土産が確保できたわけで、無駄遣いをせずにみんなを喜ばせることができる」と、嬉しいような得をした気分のような、むしろ勝ち誇った気分に浸っていた。

ところが、無意識下・・というか、日本というお国柄と祖国という奇妙なパワーによって、自制心が解かれてしまったのだ。

 

タガが外れたかのように、わたしは一心不乱に抹茶ポッキーを食べ始めた。目の前には、みるみるうちに縦長の個包装のカラ袋が積み上げられていく。

(ダメだ、せめて10本くらいは残しておかなければ・・あぁダメだ!止まる気配がない)

理性と本能による大葛藤が行われるも、さすがは動物の端くれ。あっという間に理性は隅に追いやられ、高気圧のように本能が大きくせり出すのであった。

 

——それにしても、抹茶は美味い。そしてこれは、間違いなく日本の"陰湿な気候と人柄"が関係している。あの果てしなく広がる青空と乾燥した空気、そして40度近い灼熱の砂漠地帯では、侘び寂びなど登場する余地もない。むしろ、あそこで和の趣や風情など、感じろ!というほうが無理である。だからこそ、おおざっぱでガツンとした味わいの食べ物が好まれるのだ。

ところがどうだ、日本のこのジメジメとしたはっきりしない気候は、晴れているにもかかわらずイマイチすっきりしないわけで。そして、まるで気候を反映するかのような「どっちつかずの態度と遠回しな表現」がお家芸である日本人には、むしろ舌の上で転がしながら微かな風味を楽しむ食べ方があっている。その最たるものが「抹茶」なのだ。

抹茶の風味は、間違いなく湿った空気でこそ引き立つ。無論、タイほど多湿では話が変わるが、適度な湿気と柔らかい日差しこそが、抹茶のポテンシャルを最大限に上げるのだ。そしてわれわれ日本人は、抹茶というものの最高かつ最適な愛で方を、生まれながらにして理解している。——そう、これこそが先祖代々引き継がれるDNAというやつだ。

 

 

こうして、われらが誇る宇治抹茶味のポッキーは、わたしの手で静かにこの世から葬り去られたのであった。

 

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