わたしは「あんこ嫌い」で有名である。中学生の頃、あんこの海に溺れるモチを救出した「赤福事件」は記憶に新しい。そして大人になり、人生の折り返し地点に差し掛かった今でもあんこは食べられない。
甘いもの好きなわたしが、なぜあんこは食べられないのかというと、自分でも正直よくわからない。ただなんというか、あずき特有のクセのある味があり、アレが苦手なのだと推測する。
ちなみに、モチが好きで米も大好きなわたしがモチ米を嫌いなはずもなく、なかでも栗おこわは完全に好みである。ぜひ一度食べてもらいたいのは、信州小布施にある老舗・竹風堂の栗強飯だ。あれは2~3人前をペロっと平らげてしまうほど、食べやすくて美味い。出来立てであればあるほど美味いので、できれば直営店まで足を運んでもらいたい。
だが栗おこわは一般的ではない。デパートや百貨店ならばまだしも、その辺のスーパーやコンビニではほぼ見かけない。まれに栗のシーズンに栗おこわもどきが登場するが、あんなもの偽物だ。そのほとんどが栗ご飯であり、ゴマ塩で味付けされているなど邪道にもほどがある。
栗おこわたるもの、おこわ(モチ米)は甘くなければならない。もちろん栗も甘くなければならないわけで、そこにしょっぱい要素など入り込む隙間すらない。それなのに、コンビニなどで売られている栗ご飯(多くはおむすびの形で売られている)には、無残にもゴマ塩が振りかけられている。
(あぁ、栗や米の悲痛な叫びが聞こえないのだろうか・・・)
日本人の味覚は、いったいどうなっているのか心配でならない。全国民に一度は、竹風堂の栗強飯を味わってもらいたいものだ。
そして栗おこわは滅多にお目に掛かれないにも関わらず、赤飯むすびだけはちゃっかりとコンビニのラインナップに入り込んでいる。年中無休でおむすびの棚に残っているのが、赤飯むすびといっても過言ではない。
おこわ好きのわたしは、まれにどうしてもモチ米が食べたくなると、この赤飯むすびに手を出す習性がある。だが冒頭でも触れたように、あんこ=あずきが大嫌いなため、あずきには悪いが一粒残らずほじくり出してから、モチ米だけをいただくことにしている。
しかし悲惨なことに、赤飯むすびにも例外なくゴマ塩が振りかけられているのだ。誰がなんの目的でこのような嫌がらせをするのか、追及したい気持ちをおさえながらゴマ塩のかかったピンク色のモチ米をモグモグと食べる。
(あぁ、せめてしょっぱくなければいいのに・・・)
本音をいうと「あずきなど混じっていなければいいのに!」に尽きるが、こればかりはそうもいくまい。そもそもピンク色のモチ米、その昔はあずきの煮汁を使って色付けされたと思われる。よって、あれが青色や緑色ではあずきの面目が立たないどころか、青や緑の豆を使えばいいじゃないか!ということになり、赤飯という名称を根底から覆すこととなる。
――そんなこんなで、モチ米のためならあずきすら排除するわたしが、今日、人生初のリアルあずきに挑戦したのだ。
*
食べ物においては、医者よりも信用できる友人がいる。彼女が作る手料理は、美味いとか不味いとか、味覚を示す単語では表現できないレベルにある。あえて表現するならば、内臓を動かす強さがあるとでもいうべきか。
そんな友人が出す食べ物は、何が何でも食べなければならない。これは医者の治療を受ける患者と同じ境遇だ。しかもそれはすべて「美味い」ため、治療されすぎに注意しなければならないほど、ありがたく幸せな治療といえる。
ふと友人が、目を輝かせながら何かを差し出してきた。
「これさぁ、美味いんだよ」
そこには4切れの黒い艶やかな塊が見える。こ、これはあずきでできた羊羹じゃないか!!
なんということだ。たしかに「嫌いな食べ物」を聞かれた記憶がないわけで、まさかわたしがあんこ嫌いだとは知る由もない。しかも普段はチーズケーキだの生クリームだのチョコレートだの、甘いものに囲まれて生きているわたしが、よりによってあずきが食べられないなど、嘘つきにもほどがある。
一瞬、どうやってこの局面を乗り越えようか考えるも、完全に無理であることを悟り、わたしは素早く気持ちを切り替えた。
(人間いつかは死ぬが、今じゃない)
女は度胸。怯む様子を見せることなく、黒い艶やかな塊を口へと放り込んだ。
(モグモグ・・・)
――おかしいな、これはあずきじゃないのか?あずきのあの独特な味がしない。
(モグモグ・・・モグモグ・・・)
あっという間に2切れ食べ尽くしてしまった。そして恐る恐る尋ねる。
「あのぉ、これってあずきじゃないの?」
すると友人は笑いながらこう答えた。
「あずきに決まってんじゃん!でもこれは日本一の羊羹だからね、あずき臭くないんだよ」
なんと、そんなことがあり得るのか?!あずきを使っているのに、むしろ、あずきしか使っていないのに、あずきの嫌な味やにおいがしないなんて。
その黒光りする艶やかな塊の正体は、東京・向島にある「青柳正家」の羊羹だった。一つは小豆が埋め込まれており、もう一つは栗が埋め込まれている。使用される砂糖は門外不出の極上品で、丁寧に灰汁(あく)をとった小豆で作られた餡は、透明感のある美しい黒褐色の宝石のよう。
そして不思議なことに、何度口にいれようが、どれほど咀嚼を繰り返そうが、今まで味わってきた「あずき臭さ」がまったく感じられないのだ。
(こ、こんなことってあるんだろうか・・・)
キツネにつままれたような感覚のなか、わたしはスマホで青柳正家を検索すると、密かに羊羹をクリックした。
(自宅でもう一度、確認してみよう)
*
もしかするとこれがきっかけとなり、あんこが食べられるようになるのかもしれない。いや、むしろあんこが好きになる可能性すら否定できない。
――人間、生きていると不思議なことがあるもんだ。
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