「昼夜問わず”ドンドンドンドンと壁を叩く音がする”との通報がありました。生活音には十分注意してください。」
ポストを開けると、マンション管理会社からのチラシが入っていた。
先に言っておくが、ドンドンやっているのはわたしではない。まるで藁人形に五寸釘を打ち込んでいるかのような、リズミカルかつ重々しい連打音を、わたしが発するわけがない——そう、これは「あの音」に対するクレームなのだ。
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最初は「DIYでもやってるのかな?」というくらいに思ってたのだが、それにしては深夜1時という時間帯が解せない。とはいえ、かくいうわたしも引っ越したばかりの頃はかなり遅い時間帯まで突貫工事を行っていたため、もしも新規入居者が大急ぎで新居を整えているのであれば、そこは寛大な気持ちで見守ってあげるのが先輩の役割——。
そんなことを思いながら、「時間的に非常識だ」と感じつつもドンドンというハンマー音を見逃してやっていたわたし。
ちなみにこの話は・・・今から10年前のことである。
要するに、わたしは10年以上も「ドンドン」というハンマー音を許容してきたのだ。たしかにあの音は、時間帯を問わず聞こえてくる。しかも恐ろしいことに、わたしの部屋の上方あるいは隣室が発信源と思われる。
そして、この辺りでわたしは気がついた——我が家の上は屋上だし、隣室は少なくとも3回入れ替わっている。つまり、10年もの間ハンマー音が鳴り響いているというのは、じつに恐ろしく奇妙な話なのだ・・と。
よく、「水道を使ったりエレベーターが稼働したりすると、予想外の音がする」と言うが、どう考えてもそれらの使用音とは思えないほどの圧倒的な物理音。誰がどう聞いてもハンマーで叩いている音であり、それ以外に例えようのない衝撃音なのだから——。
よって、当初想像していた「新規入居者説」は否定され、「排水管を流れる水のウォーターハンマー現象説」も疑問符が残る結果となった。さらに、繰り返しになるが、我が家は最上階のため天井の上は屋上・・つまりヒトが住んでいるわけがない。加えて、隣の部屋との間は分厚いコンクリートの壁が隔てており、どれほど殴打しようが音が伝わることはない——いや、さすがにアンカーを打ち込めば別だが。
そのうち、どれほど考えても仕方がない気がしてきたわたしは、定期的に聞こえてくる「ドンドン」という打撃音について、発信源や音の原因を追求するのを止めた。その代わり、「居住者の誰かが藁人形に五寸釘を打ち込んでいるのだ」という仮説を立てたのである。
これならば合点が行く——深夜にドンドンするのも、朝からドンドンするのも、藁人形ならばしょうがない。
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というわけで、未だにあの音は続いているが、こちらは10年のキャリアを誇るベテランである。今さら騒いだところであの音が消えるとは思えず、しかも”藁人形”相手となると中途半端に関わることも憚(はばか)られるため、あの音ありきで生活を続けてきたのだ。
そんな「消えるはずのない衝撃音」について、しびれを切らした住人が管理会社へ訴えたのだろう。しかもどうせ新米に決まっている。なぜなら、何年もここで暮らしていれば、さすがにあの音が異常であることくらい察しが付くからだ。
なお、もっとも迷惑な結末としては「マンションの上の階からドンドンという音がする」と言われることだ。いかんせんわたしではないし、隣人でもないことはわたしが保証しよう。
それなのに、最上階に住んでいるというだけで犯人扱いされたのではたまったもんじゃない。とはいえ、身の潔白を明らかにするにも証拠がないのが現状。
強いて言うなら「わたしも、上のほうから聞こえてくるドンドンという音に迷惑している」と訴えるしかないが、そんなことを言えば「最上階の住人が、その上から聞こえてくる音に迷惑している?・・・ちょっとヤバイのかも」となるのは想像に難くないわけで、ここはやはり沈黙を守るのがベターだろう。
それにしても、いったい全体なんの音なんだ。藁人形じゃないとすれば——。
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