「人間の質」とでもいおうか。あるいは「空気が読める度」なのか、いや、「社会性の有無」かもしれない。
とにかく、「言っていいこと、わるいこと」の区別がつく仲間での集まりは、質のいい笑いしか起こらないと感じる瞬間があった。
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わたしは、お茶や食事に行くのは二人までと決めている。
一人でもまったく構わないのだが、もう一人くらいいても問題はないので、二人ならば(相手にもよるが)二つ返事で時間を割くことができる。
だが三人となると微妙。
目に見えない化学反応というか、サシで会う分には居心地のいい相手でも、複数人で会うとなるとパワーバランスが崩れるためか、不愉快な空間となることがある。
これはうまく表現できないが、サシでは話題にしない「誰かのはなし」を、複数人だとなぜか放り込んでくる人間がいる。
無論、当人には悪気などない。ただ単に共通の話題として、「誰かのはなし」をするだけ。
だがわたしは、それがどうも気に入らないのである。
二人での会話ならば、その話題に触れないように誘導することもできるし、相手もそれを感じ取ることで、あえて触れずに終わることができる。
しかし、ひとたび「噂好きの人間」に豹変すると、調子に乗ったら歯止めが利かなくなる。
その結果、聞きたくもない内容、知りたくもない情報を耳にすることとなり、その場に居合わせたわたしも「同罪」の沼に引きずり込まれることとなるのだ。
そんな不本意な状況を避けるべく、複数人でのお茶や食事会にはめったに参加しないわたし。ところが、
「やっぱりメンバーによるんだなぁ」
と、改めて感じる瞬間があった。
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それは、その場に居ない人物の話題、しかも決して話題主を褒め称えるようなものではなかった。
にもかかわらず、今まで以上に「主」を愛せるような空気感を作り上げたのは、紛れもなく居合わせたメンバーの技量というか、人間性の賜物だと実感させられたのだった。
文字にすればややもすると悪口と捉えかねない内容でも、その場の全員が無意識に、安定した空気感を維持するべく努めた結果、話題主の株を上げたのだ。
当然ながら、その場に居る人物の話題がもっとも面白い。追及することもできるし、誇張して表現することもできるし、本人が目の前にいるからこそ笑いも新鮮でインパクトがある。
だが、諸事情から参加できなかったメンバーでも、あたかも出席していたかのような存在感を残せるのは、当人の人柄もあるわけだが、間違いなくメンバーの質の高さに他ならない。
ではどんなメンバー構成ならば、ポジティブな空間が築けるのだろうか。
まず必須なのは、リーダー格となる人物。仕切り上手というか「話題を振るのが上手い人物」である。
そして振られた話題に対して、予想を上回る内容を提供できる「話題巧者」が存在すること。
さらに、それらの話題をより鮮明に輝かせる「話術のプロ」がいたほうがいい。
はたまた、無言の存在感でハメを外させない「門番」が構えていれば、もはや完璧なリスクヘッジとなる。
これらの登場人物が、各々に割り振られた任務を遂行するかのごとく、見事な会話の流れを繋いだ結果、雑念のない居心地のいい空間が出来上がるのだ。
わたしは、なんというか感心してしまった。
一人でいれば誰と話すこともなく、他人の話題に触れることすらない。だが同時に、腹を抱えて笑うこともない。
ところが、一瞬たりともネガティブを感じることなく、全員が上を向いて大笑いできる空間が、目の前に広がっているのだから。
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誰も口にせずとも、当たり前に感じる「常識」「節度」「笑いの質」が保たれていれば、賑やかで幸福なひと時が約束されるのである。
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