バーチャルNYCマラソンは新たなスポーツのロールモデルとなるか

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試合に向けて減量を開始したのだが、思いもよらぬ体重の減り方をみせている。

 

絶好調のとき64キロだった私の体重。

それがなんと53キロ台まで落ちてしまった。

しかも連日、1キロ/日の速度で減っていく。

明日には52キロ台が確実だ。

 

せっかくフェザー級(裸の体重で約56.5キロ)でエントリーしたのに、これでは一つ下のライトフェザー級(裸の体重で51.5キロ)になってしまう。

なおかつ無差別級までエントリーしたのに、これでは体重の恩恵を受けられないではないか。

 

大急ぎで増量せねば。

 

しかし不思議なもので、いま食べたい食料はなぜかフルーツ。

帰宅途中のスーパーで、

・シャインマスカット(2房)

・みかん(20個)

・キウイ(10個)

・柿(大4個)

と大量のフルーツを買い込んだ。

そして全部食べた。

 

瞬間体重はきっちり増えたが、中身はほぼ水分だ。

明日の朝には元通り、いや、さらに減っている可能性がある。

 

しかし喜ぶべき事態であることも事実だ。

あのスポンジのような変幻自在の体が戻ってきた、ということだからだ。

 

もう体重を気にする必要はない。

思う存分殺気を磨き、試合本番を待つのみ。

 

 

ジムの更衣室での会話。

毎年ニューヨークシティ(NYC)マラソンに参加している女性がいる。

今年はコロナの影響で大会が中止となったそうだ。

 

しかしその代替措置として、バーチャルでNYCマラソンが開催されるとのこと。

 

「GPSで自分の情報を送ると、アプリ上で私がNYCを走ってることになるの」

 

すごいアイデアだ。

これは実際に「自分が走る必要」があるため、近所をぐるぐるでもマラソンコースを走るでもなんでも構わないが、実際に移動しながら走る必要がある。

つまり、ランニングマシンのようにその場から動かないものはNG。

 

そして自らが走った距離や速度がアプリと連動し、NYCのどのあたりを走っているかがわかる。

さらにタイムも反映されるため、今年のNYCマラソンでの順位結果も出る。

 

「60ドル払えば、メダルとかノベルティグッズがもらえるんだよ」

 

これならば目標達成と大会参加の両方を楽しむことができる。

 

このバーチャル大会、驚くことに無料参加も可能だそう。

メダルなどの記念品はもらえないが、GPSとアプリを連動させることでNYCマラソンに参加した気分を味わえる。

 

これは画期的な運営方法だ。

マラソン大会といえば道路規制や警察の届出など、参加人数を制限しながら開催されてきた。

しかしこのバーチャル方式を取り入れたことで、今年のNYCマラソンは申し込めば全員参加が可能となった。

 

運営サイドのコスト的にもかなり嬉しい結果となるだろう。

もちろん、参加者にとっても金額的な負担やコロナの不安から解放され、そもそも抽選で外れることがないため、より多くのランナーが楽しめる仕組みとなるはず。

 

実際にNYCの街並みを満喫しながら走る楽しみ方にも意味がある。

しかし、このようなバーチャルでの大会参加の選択肢を示すことで、世界中のだれもがマラソンに近づくことができ、楽しむことができる。

 

これからのスポーツは、もしかしたらこのような形式(バーチャルやリモート)がオーソドックスになるのかもしれない。

 

 

では、私が行っている柔術はどうだろう。

対人競技はさすがに無理か。

と思ったが、例えば自分の動きをそのまま投影できる人形(人体模型)があれば、フィジカルで相手と組むことなく競技ができる可能性はある

 

リモートで練習や試合ができるとなれば、柔術の競技人口も増えるだろうし、さらなる成長が期待できる。

 

 

バーチャルやリモートでの開催が難しいのは、チームスポーツ(団体競技)ではないだろうか。

サッカーやバスケットボールで考えると、さすがに難しそうだ。

 

あと50年もしたら、新しいスポーツのカタチが現れているだろう。

オリンピックもかつての方法ではない、新たな運営方法で実施されているかもしれない。

 

来年のオリンピック開催に向け、なにがなんでもフィジカル環境を維持させたい日本は、ある意味ヘンな足枷(あしかせ)をはめられた状態だ。

各地のマラソン大会は延期や中止となり、なかには自己申告で記録を提出することで大会参加となるものもあるようだが、NYCマラソンと比べるとCS(顧客満足度)は低い。

 

フィジカル環境を抜け出すことで、より大きな価値を生み出せる。

より多くの人が体験できることは、まさにダイバーシティの観点からも必要な取り組みといえる。

 

誰が一番かを決めることより、より多くの人が楽しめることのほうが、価値のある世界になるのかもしれない。

 

 

そうだ、思い出した。

数日前、ジャガイモを10個ほど食べた。

 

野菜直売店でメークインと名前は忘れたが煮物にピッタリのジャガイモを購入し、炊飯器で蒸した。

 

ほくほくのジャガイモを十字に切り開き、塩とエシレバターをたっぷり乗せる。

これがまた絶品で、どちらのジャガイモも甲乙つけがたい美味さだった。

 

さすがに一気に10個食べるのはもったいないので、炊飯器を保温にしてジャガイモを寝かせた。

 

ジャガイモだけだと飽きるので、途中でサツマイモも食べた。

キッチンペーパーをびしょびしょにしてサツマイモに巻き、そのままコンビニのビニール袋に入れて150Wのレンジで15分加熱すると出来上がる。

 

やはりサツマイモは甘くて美味い。

エシレバターとの相性も抜群だ。

 

そうこうするうちに、ジャガイモは保温のまま2日が経過した。

なんとなく不安がよぎった私は炊飯器からジャガイモを救出し、もう秋だから常温でも平気だろうと放置した。

 

その翌日、放置したジャガイモを食べた後から体調に異変がおきた。

夜中に腹痛に見舞われ、大腸の内容物をすべて排出した。

同時に食欲を喪失し、なにも食べたいと思わなくなった。

 

ーーそこからだ、体重が激減したのは

 

ジャガイモを放置すると良くないことが起きるのかどうか定かではないが、ジャガイモが好きであることに変わりはない。

なんでも適量・適宜を心がけるべきだということを、身をもって知ったということを、いま、思い出した。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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