海外のクライアントとメールをすると、海外ならではの定型文を目にする。たとえば金曜日ならば、
「良い週末を!」
とメールの最後に必ず入っている。
久しぶりにメールが来れば、
「楽しい日々を過ごされていたことでしょう」
などと、プライベートを気にかけるセリフが必ず添えられている。
たったこれだけでも、読んだこちらはほっこりと温かい気持ちになれる。顔の見えない会話では、こういった気の利くセリフが親密度を高めるのだ。
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歌をうたわなくなったポールについて。ポールと言えば音痴!が合言葉の、独特なキャラクターで人気を博す中年男性。
それにもかかわらず、私のディスり方がひどかったせいか、歌うことをやめてしまった。じつに惜しいことをしたと後悔している。
ポールは我が道を行く頑固な人間だが、メッセージの最初に「自然」について触れるコメントを入れる時がある。そんなところがちょっと外国人ぽいな、と思ったりもする。
「外は大雨だ」
「たくさんのカラスが鳴いている」
「火星が近いようだ」
一体どこに住んでるんですか?というような、大自然の様子を伝えてくれるポール。
親しみを込めたあいさつ文を好む外国人でも、ここまで壮大なスケールは見たことがない。よって、さすがポールといったところか。
そんなポールと、ふとしたきっかけでトイレの話題になった。トイレ掃除というくだらない内容だが、私は最初から一つの考えしかなかった。
「そもそも汚れないようにトイレを使えばいい」
これ以上に説得力のある提案はないだろう。べつにトイレに限った話ではない。キッチンでも、リビングでも、オフィスでもなんでもいい。いずれ掃除をするにせよ、限りなくきれいに使うことで掃除の頻度は減り、結果として効率的であることに反論はないはず。
しかしポールの意見はこうだ。
「人に指示してやらせて、ダメなら自分でやる。それ(やらないこと)に対して文句を言うのは時間のムダだ」
一見、もっともな意見で確かにそのとおりとなりそうだ。これに対して私は、
「男性も座って用を足せばいい」
と意見を述べた。もうお分かりだろう、我々が何について議論を交わしているのか。
そう、男性が立って用を足すことについてだ。そのせいでトイレ周辺が汚れるのならば、座ってすればいいだけのこと。それを頑なに立って行う必要性がどこにあるというのだ。
「会社経営において、従業員にいくら指示しても無理だと感じたら、マネジメントに責任を持つ人間がやるしかないのだ」
かつてマネジメントの仕事をしていたポール。この部分だけを聞くと、まさに正論で争う余地はない。しかし、現在の議題は「トイレで座って用を足す話」だ。
「そもそも汚れるようなトイレの使い方をしなければいい」
私は当たり前すぎる意見をズバリと述べた。この意見に異論があるとは思えない。
しかしさすがはポール、反論してきた。
「ルールで規定したから人が動くわけではない。食品会社の『先入れ先出しのルール』と同じだ。意味を理解できない従業員は、(手前にある)後から仕入れた商品を先に出してしまう。先入れ先出しを実施するには、先に仕入れた商品からしか出せない配置の倉庫にするとか、物理的な仕組みをつくらない限り、バカ相手には機能しない。
トイレ掃除もこれと同じだ。自ら掃除をしない人間は、ルールで規定したとて守るわけがない。つまり、座って用を足さないと使えないようなトイレでない限り、無理だ」
なんという屁理屈!!!さすがの私も驚いた。聞いている途中でイラっとしたが、ここまで開き直られるともはや返す言葉が見つからない。
それでも私は振り絞るように、
「せめてポールが率先してやればいい」
と助言した。すると、
「だれが俺のトイレの様子なんて見るんだ(見るわけがない、オマエはバカか?)」
と鼻であしらわれた。
私は思った。立って用を足すことが原因でトイレ周辺の掃除をするならば、座ってすることでその無駄は省ける。物理的に立ってしなければならない状況ならば別だ。
しかし座ってすることができるにもかかわらず、その労を惜しむ(?)ことで発生する掃除という行為は、「時間のムダ」とは言わないのだろうか。
毎日のトイレ掃除の手間と時間を、もっと有意義なことに使うべきだとは思わないのだろうか。
マネジメントについて、部下への指示について、さらには時間の使い方について、日頃から偉そうに、いや具体的かつ実行力のあるメソッドを語るポール。
そもそもマネジメントで重要な、
「無駄な時間を発生させない工夫をする」
という発想は、どこへいってしまったのだろうか。
――トイレの使用方法についての事業再生(マネジメント)は、なかなか手ごわそうだ。
Illustrated by 希鳳
フルスクワットが無理なら
ハーフスクワットでも汚れは減る
それさぁ、ポールに声を大にして伝えてやってほしいわ。