薬指が動かないのは中指のせいかもしれない

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「私が弾くのを見てマネするんじゃなくて、楽譜を見て弾きなさい」

 

先週、ピアノの先生に言われた言葉だ。

 

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私は4歳からピアノを習っていた。

大学受験でピアノ科に合格したのを機に、ピアノを辞めた。

 

それから長いこと、ピアノを弾くことも弾きたいと思うこともなかった。

友達の結婚式で頼まれて弾く程度で。

 

ピアノをまともに弾かなくなってからの思い出に残るピアノの演奏といえば、海外の教会で勝手にパイプオルガンを弾いたこと。

 

バッハの平均律を勝手に弾いた。

 

弾き終わって振り返ると、教会の人が仁王立ちしている。

ヤバっ!と急いで逃げた。

 

すれ違いざまに見たその人は、笑顔だった。

 

 

この期に及んでまたピアノを習い始めたきっかけは、たまたまYouTubeで見た2018年PTNA特級ファイナルでの、角野隼人くんのラフマニノフ2番の影響を受けて。

 

インパクトのある演奏を聞けば驚くものだけど、角野くんのラフ2は度肝を抜かれた。

 

演奏した本人ですら、

 

「きっと今が人生の頂点だと思った」

 

と言うくらい、神がかった迫真のラフマニノフだった。

 

私にあれほどの演奏はできないが、

 

「ピアノでやり残したこと、見て見ぬふりをしてきたことの尻ぬぐいをしよう」

 

という気持ちが生まれたのは確かだった。

すぐさま、YAMAHAのアップライトピアノを購入した。

 

鍵盤の重さと打鍵したときの音の厚みは、鍵盤楽器であるピアノにしか出せない。

 

電子ピアノも昨今かなりの高性能で、音は本物さながら。

だがあくまで「スイッチ」なのだ。

鍵盤=スイッチが押されて音が出る仕組みが電子ピアノ。

 

ピアノはハンマーがピアノ線を叩くことで音がでる。

そっと触れるように打鍵しても、かすかに音が聞こえる。

つまりスイッチには決して出すことのできない「音」がある。

 

 

弾きたい曲があるわけではなかった。

むしろ一つの簡単な曲を完璧に弾くためにピアノを習いたかった。

 

 

小学校の頃、私は楽譜を見る習慣がなかった。

先生がお手本で弾いてくれる曲を聞いて、その場で覚えて弾いていた。

課題曲をいくつか出された時は、家でCDを聞いて覚えて弾いていた。

 

だからいまだに、楽譜を見て弾くということが苦手なのだ。

それを先週、今の先生から指摘された。

 

(ここからのスタートか)

 

先生は言った。

 

「あなたが譜読みが早くて耳で覚えるタイプなのは分かる。

でも、楽譜に全てが書いてあるの。

 

耳で聞いた演奏は誰かの演奏でしかない。

音符であり、アーティキュレーションであり、ディナーミクは楽譜に書かれている。

 

楽譜は作曲者が何百年も前から伝てきた内容よ。

だから、私のピアノを聞いて覚えるのはやめなさい」

 

 

もし小学生の頃、当時のピアノの先生にこのことを言われていたら、もしかするとまだピアノを続けていたかもしれない。

 

私に欠落している「ピアノ」は、まさにこういう初歩的なことだった。

 

 

人のふり見て我がふり直せ、とはよく言ったもので、私は昨夜ある先輩に対して偉そうに講釈を垂れた。

それは今の自分にそっくりそのまま言ってやりたい内容だった。

 

できないことから目をそらしていたのは、この私だ。

 

 

ピアノを再開して気づいたことは、左手の薬指の独立性が著しく劣っていること。

さらに人差し指と中指の独立性も、別の意味で不足していた。

 

初回のレッスン、幼稚園児が習う「指のダンス」をやらされた。

これにはピアノの鍵盤など必要ない。

 

テーブルに腕を置き、手首をテーブルにくっつけた状態で指を一本ずつ動かす、というなんとも易しい練習。

 

しかし、それが上手くできないのだ。

 

一体いつからこんなことになったんだ

 

昔はできた、絶対に。

そもそも弾けない曲なんてなかった。

 

どんな曲でも1週間あれば弾けた。

毎週毎週、出された課題曲は何曲でも弾き上げた。

つまり、当時「指のダンス」はやっていないが、できなかったはずがない。

 

でも今は、見るも無残にできない。

 

頭ではわかっている。

動かしたい指がどれなのか、当然わかっている。

なのに指が言うことを聞かない。

 

私はテーブルを離れピアノに向かった。

 

(テーブルの上だからできなかったんだ。

鍵盤ならちゃんとできるはず)

 

ツェルニー30番練習曲、という練習初期に必ず弾く練習曲がある。

この上と下が階段のように上がったり下がったりしている、この部分。

ここがきれいに弾けない。

両手で同時に弾くと絶妙に揃わない。

 

(なにがわるいんだ)

 

汗を拭いながら何度も何度も弾いた。

そして30分経った。

 

当然、弾けない。

 

今度は両手をあきらめ左手だけで弾いてみる。

分析すると、上行のときに薬指だけ打鍵が微妙に遅くて弱い。

逆に中指は打鍵が強すぎる。

下行のとき、人差し指はぶっきらぼうに打鍵するし中指は強すぎる。

そして薬指がヨワヨワしい。

 

つまり問題があるのは「薬指」だけではない。

中指も人差し指も問題がある。

もっというと小指や親指も何かありそうだし、手首や肘の使い方にも問題がありそうだ。

 

かつて30分ほどの練習で「合格」をもらっていた30番ツェルニー。

いまでは、何か月かけてもまともに弾くことができない。

 

ただ、これこそが私が見て見ぬふりをしてきた「ピアノの置き土産」なのだろう。

 

当時は勢いで乗り切っていた。

私はできる、私は上手い――

そういうテンションで、技術的にできていない部分をうまくごまかして乗り切っていたのだ。

 

 

そしていま、再びテーブルに腕を乗せ指のダンスをしている。

ここでできないことは鍵盤上でもできない。

 

相反するが、鍵盤上だと多少ごまかすこともできる。

たとえば音程や強弱、ペダル、スピードなどに抑揚をつけることで「うまくごまかす」ことが可能。

 

これこそが、私がかつてやってきた演奏。

だからこそ、できないことから目をそらすのを終わらせようと思う。

 

それと、動かない指はその指だけでなく、隣りの指にも問題があるということを忘れてはならない。

 

あとは私の中指が折れた(骨折)ことも、忘れてはならない要素かもしれない。

 

 

「現実から目をそらすな、正面から受け入れろ」という自戒を込めて。

 

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