わたしが社労士としてこの世に産声を上げた頃、時を同じくして会社を設立し、右も左も分からない状態で第二の人生をスタートさせた友人がいる。
そして仕事の関係というよりは、友人をサポートするつもりで、わたしはその会社の顧問社労士となった。
友人の会社はいつの間にか規模を拡大し、十年前のちっぽけな事業所は姿を消していた。そして今では、従業員でサッカーチームがいくつも作れるほどにまで成長した。
これからもどんどん前へ進む覚悟の友人は、ある決断を下した。
それは、わたしとサヨナラすることだった。
単刀直入に言うと、わたしのキツイ口調やメールでの高圧的な文章が原因で、従業員らが委縮してしまい仕事にならないとのこと。
そして友人自身も、わたしのことが「怖い」と伝えてくれた。
「また怒られるんじゃないかと思うと、なにか質問したくてもできなくて」
そう言われてしまえば、関係修復は不可能だ。
たしかにわたしは言葉がキツイし、思ったことをズバズバ言う。
それゆえ相手を傷つけたり、相手から誤解されることも多く、決して人間関係が良好で人に好かれるタイプではない。
しかしこの性格は今に始まったことではない。昔からこうで、友人と出会った時も、出会ってからもずっとこうだった。
時には友人が間に入り、相手を宥(なだ)めてくれることも。
「あの人は言い方はキツイけど、根はいい人だから」
そういって仲裁してくれたこともあった。
だが今、それすらもできなくなるほど、友人との間に埋められない溝ができてしまったのだ。
原因はすべてわたしにある。そしてわたしとの距離ができ始めてから、友人には新たな出会いがあり仲間が増え、人間関係も環境も徐々に変わっていったのだろう。
そんな変化にすら気づけなかったわたしは、もはや友人とは呼べないし、顧問としての仕事をしていなかったわけだ。
仕事をサボったわたしは顧問先の些細な変化を見逃し、いつまでも変わらぬ関係が保てるとうぬぼれていた。
クライアントに寄り添うということを、放棄した罰だ。
ただ一つ、「今でよかった」と思えることがあるとすれば、友人の会社に実害が発生していないこと。
わたしが仕事をしないせいで、何らかのトラブルが起きてしまったら死んでも詫びきれない。だが幸いにも、取り返しのつかない状況にはなっておらず、それだけがせめてもの救いだった。
しかしながら、わたしが友人の会社と関わり続けることで、嫌な思いをする従業員が退職してしまったり、労務に関する相談ができずに困ってしまったり、もうすでにその兆候が表れているからこそ、友人は満を持してわたしに相談を持ち掛けたのだ。
「わたしたちはどうすればいいですか?」
そう尋ねられたとき、答えは一つしかなかった。
「そちらが直すことはなにもない。わたしがいなくなることで解決するから」
これは、自分ではなく他人の話だとしても、同じことを言っただろう。もはや仕事の問題ではなく人間性の問題なのだから、合わなければ取り替えるだけ。
友人の会社の成長はわたしの成長でもあり、楽しみでもあった。
ではなぜもっと近くで支えてあげなかったのか、今となっては反省の余地もない。わたしの怠慢でしかない。
これを機に、すべての仕事に対して謙虚に向き合おうと思う。
正しいことをストレートに伝えるだけが仕事ではない。その伝え方や、さらには相手の懐に入りこむ努力をする必要もある。
次の社労士はきっと、立派に職務を遂行してくれるだろう。
そして大きく成長した友人の会社を、いつかどこかで見つけることを、わたしの小さな楽しみにしようと思う。
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