三半規管という大海原を統治するポセイドンと、耳石器から剥がれ落ちたはぐれメタルとの壮絶な戦い

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あくまで個人的な見解だが、柔術におけるもっとも迷惑な体調不良は「めまい」だと思う。あまりに酷いめまいの場合、自分が今どの体勢になっているなっているのか、また、相手がどこにいるのかすら曖昧になるので、「対人競技」という点では非常に不利である。

そしてわたしは、たまに耳石(じせき)が外れて三半規管に迷い込むことがあり、そのたびに天地がひっくり返るような継続的な衝撃に見舞われるのだ。とはいえ、めまいの仕組みが「耳石の剥離」だと分かっている以上、病気というより一過性の症状といった方が正解なので、めまいに耐えながら耳石を元の場所へ戻す動作を繰り返しつつ、症状が治まるのを待つのであった。

 

ちなみにこの症状は、「良性発作性頭位めまい症(りょうせいほっさせいとういめまいしょう/BPPV)」と呼ばれるもの。

鼓膜の奥にある三半規管と蝸牛(かぎゅう)の間に「耳石器(じせきき)」という器官があり、ゼラチン質の耳石膜の上にたくさんの粒々が乗っている——この粒々が「耳石」なのだが、衝撃やカルシウム代謝の変化により耳石が剥がれ落ち、誤って三半規管のほうへ入り込んでしまうと、「三半規管の暴君」が耳石の不法侵入に対して怒りをあらわにした結果、頭がグルグルと回転するかのような鉄槌制裁を受ける(?)のだ。

 

この暴君の怒りを鎮めるには、三半規管に迷い込んだはぐれメタル(耳石)を回収して自身の部屋に戻すしかないのだが、これまた決定的な戻し方というか角度があるわけではないのが難点。

たとえるならば、神社にある「おみくじ」を想像してほしい。みくじ筒(箱)を振って、数字が書かれたみくじ棒を出すことでおみくじと交換してもらうアレだが、みくじ筒が「三半規管」でみくじ棒が「耳石」の関係。そのため、一振りで棒を出すのは難しく、何度か筒を揺さぶって棒が振り出される角度を探さなければならない。これと同様に、剥がれた耳石を三半規管から耳石器へ戻すには、左右前後あらゆる方向へ頭を動かし、みくじ棒を振り出すかのように耳石が戻る道筋を見つけなければならないのだ。

 

しかしながら、この動作を行うには「横になる必要」がある。具体的には、仰向けになって頭のみをゆっくりと左右広範囲に動かすことで、運がいいとすんなり自室へ戻る・・という仕組み。だが、早くても数十分・・遅いと数日間はめまいと共に生きなければならないため、柔術の練習中に耳石が外れると練習にならないのは言うまでもない。

しかも今回は、ボトムポジションから天を見上げるたびにぐわんぐわんと脳内がシェイクされるので、立っているほうがまだマシという感じ。おまけに柔術という競技の特性上、相手がボトムポジションを選択しないならばこちらが座るわけで、場合によってはなかなか過酷な状態を強いられることとなった。

 

無論、めまいが酷ければ柔術などしなければいいので、無理を押してまで練習を続ける必要はない。ましてや、誰かに強制されているわけでもなければ、今日が人生最後の柔術というわけでもないのだから、めまいに耐えながらも練習に参加しているのは紛れもなくわたしの選択である。

それにしても、このめまいと吐き気はいただけないな——。

 

 

はぐれメタルこと剥がれ耳石の旅は、ひょんなタイミングで終わりを告げるもの。こちらが狙ってやった動作では戻らないくせに、いつの間にか自然と元通りになっており「何事もなかったかのようにシレっとしている」など、剥がれ耳石は勝手気ままな異端児といえる。

 

帰宅後にソファで横になったわたしは、静かに目を閉じると頭の角度を少しずつずらしていった。めまいが強くなる角度、中程度のめまいの角度、そして(三半規管のリンパ液が)凪ぐ角度・・ここだ!

正に”荒波が凪ぐ”かのごとく脳内の回転が止まる角度を発見したわたしは、しばらくその角度をキープした。そして当然ながら、そのまま寝落ちしたのである。

 

こうして、目を覚ますころには耳石も無事に帰宅をしており、「数時間前までの大混乱は、いったいなんだったんだ・・」と、呆れるやら安堵するやら。とはいえ、この症状とはこれからも付き合っていかなければならず、不快かつテンションがた落ち状態をいかに早く自力で脱出できるかの、いわばサバイバルゲームなのだ。

——などと息巻きながらも、まだ残る若干の吐き気を噛みしめつつ、しみじみと人体の不思議を実感するのであった。

 

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