現在時刻は午後3時。わたしのQUINTET(クインテット)がついさっき終わった。
残されたものは清々しい達成感か、はたまた感慨深い回顧録か。
ーーいや。耐えがたい首の痛みだけだ。
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クインテットは5人1組のチーム戦。各試合8分で「絞め技か関節技の一本」のみで勝負が決まる。タップが奪えなかった場合は「引き分け」となり、次の選手と交代。
つまり、勝たなければならない場面で引き分けた場合、それは「負け」を意味する。
逆に、実力差のある選手を引き分けで抑えることができれば、チームの勝利がグッと近づくことになる。
さらなる面白さを引き出すために、メンバーのウエイトがフェアに構成されるのもポイント。チーム5人の総体重が決まっており、女子で体重差が7キロ以上の場合、試合時間が4分に短縮されるのだ。
ちなみにこの時間短縮は、試合運びにリアルに影響する。
そんなクインテットの醍醐味を、端的に表す桜庭和志さんの発言(多分)がこれだ。
「関節技のタップとは相手に自らの意思で敗北を認めさせること。だから殴り合いより面白い」
これはたしかに言い得て妙。どれだけ劣勢でも最後の最後で一本極めれば勝ちとなる。
さらに相手が「まいった」するわけで、これほどまでに優越感に浸れる瞬間はないだろう。
そんな戦いに、日ごろからお世話になっている女子プロ格闘家が参戦することになった。藤野恵実だ。
藤野はパンクラス/ストロー級の現チャンピオンで、日本が誇る最強のクイーンオブパンクラシスト。持ち味の屈強なフィジカルで押しつぶされれば、一般的な人間ならば男であってもひとたまりもない。
だがクインテットはグラップリング(寝技)のため、普段の試合とは勝手がちがう。そんな藤野の練習相手にありがたくも指名されたわけだ。
師匠のお墨付き「ノーテクニック」のわたしが、果たしてどんなお役に立てるのか不明だったが、本業(総合格闘技)の試合が流れた藤野の晴れ姿見たさに、ボロ雑巾となることを快諾。
べつに後悔はしていないが、とりあえず首が回らなくなった。
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道着を着ない寝技(グラップリング)未経験のわたしは、手探りでの練習となる。
そして、ラッシュガードというピタピタのユニフォームに身を包んでの「寝技」から感じたことは、「いかに道着が便利か」ということ。道着というもの自体が武器になっていたことを思い知る。
藤野の圧力を正面からモロに受けると、ヒトが交わすことはほぼ不可能。それゆえ、あれこれこざかしい動きで逃避を試みるのだが、それをしていると試合時間の8分などすぐに消化する。
ーーこれじゃ藤野は引き分けを狙われる。
クインテットの恐ろしさはここにある。強い選手の対戦相手は死ぬ気で交わし続け、引き分ければいい。
それこそが大勝利といえるのだ。
格闘技、柔術ファンの記憶に新しいところでは、柔術界の至宝/湯浅麗歌子(ゆあさりかこ)と、テンスプラネットの秘密兵器/グレース・ガンドラムの一戦だろう。
当然、世界最強の湯浅が勝ち抜くーー。
大方の予想を思いっきりひっくり返したのが、当時16歳のガンドラムだった。見た目で判断してはいけないが、黒髪やせ型メガネっ子のガンドラムは正真正銘の文系女子。そのヒョロッとしたフォルムでは、とてもじゃないが強そうには見えない。
そんな彼女があれよあれよと湯浅の攻撃をかわし続け、終わってみれば引き分け。
湯浅にとってそれは「負け」を意味する。そしてあの時、ガンドラムは「名分け役」の称号を得た。
一本極めた人間より、引き分けた人間のほうが評価されるのはなかなか珍しい。
観客・視聴者のハートを釘付けにする「名分け役」の存在こそが、クインテットの真の面白さといえるだろうーー。
こういった可能性からも、藤野には確実に一本を取ってもらわなければならない。だが対戦相手らは柔術の強豪ぞろい。付け焼き刃で一本取れるほど甘くはない。
そんな中、師匠が藤野へ秘策を授けた。もはや本能に頼る作戦だ。
ーー師匠はいつもそうだ。わたしや藤野タイプには、テクニカルなアドバイスは無意味ということだろう。
「秘策」を実行すべく、黙々と藤野に蹂躙(じゅうりん)され続けるわたし。
ーー人間の動きではない、なんだこれはクマ?ゴリラ?
美人格闘家として名を馳せる藤野は表情を崩すことなく、猛獣の勢いでこちらに飛び込んでくる。わずかに上がった口元が氷の微笑を彷彿とさせる。
この最恐の筋肉美女に、わたしは圧死させられるのかーー。
そんなこんなで無事、クインテット当日を迎えることができた。下馬評の低い藤野チームだが、ここまでくるとMMAファイターの意地とプライドで勝利をもぎ取ってもらいたい。
でないと、もげかけたこの首が成仏されない。
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