動くための言い訳、動かないための言い訳

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寝坊した。

しかも、大寝坊だ。

 

本日の柔術の練習は、10時30分から13時30分までだが、現在時刻はなんと、12時28分だ。

 

今から急いで出かけても、ラスト30分すら間に合わない。

 

もう一度、目を閉じようかどうしようか、迷う。

 

 

コロナが我々人間にもたらした最大のネガティブインパクトは、あらゆる気力を奪われ無気力になることだ。

 

テレワークが広まり、場所的・時間的拘束による労務管理体制が崩壊した。

 

その結果、人々は平和で安全に、自宅で業務を遂行することが可能となった。

 

コロナ騒動によるテレワーク実施から一か月が過ぎると、感度の良い人は薄々気づき始めたことがある。

 

「これは本来の仕事のあり方ではない、本来の日常生活ではない」

 

 

そりゃそうだ。

これまでの、フィジカル就労環境下での業務方法を緊急的に踏襲し、出来そうなことだけを自宅で行っているのだから、そもそもフィットするわけがない。

 

効率が上がるなんてこともない。

一時的にそう感じることもあっただろうが、それは環境の変化によるリフレッシュ効果だ。

 

仕事のありかた、組織のありかた、働くことの意義や目的、そもそも根本的な変化と改革が必要なわけで、その場しのぎのテレワークなど、通用するはずもない。

 

そして、この「なんちゃってコロナ対策」は、健康な人間の心を蝕んでいった。

 

 

すべてがめんどくさい。

 

別に誰とも会わないから、風呂入らなくてもいいか。

別に予定があるわけじゃないから、朝まで起きててもいいか。

別に試合があるわけじゃないから、練習しなくてもいいか。

 

私自身がかなりの確率で壊れかけたころ、小倉先輩(仮名)のツイッターで、来月から柔術の試合が始まることを知った。

 

(へぇ、そうなんだ)

 

感動したわけでも興奮したわけでもない。

ただその事実を知り、記憶しただけだった。

 

エントリーするかしないかも不明で、「だからなんだ?」という程度の熱量しか、柔術に対する想いは残っていなかった。

 

 

6月に、所属ジムでの練習が再開されてからというもの、それまでとは比べ物にならないほどのやる気のなさに、自分でも驚いた。

 

週10(二部練も含めて)で柔術に励んでいた私が、週1程度の練習しかしなくなった。

 

しかも、毎回遅刻。

 

遅刻には理由があった。

気持ちがまったく乗らないため、重い腰を上げることができなかったからだ。

 

練習に行って何になる?

なんの目標もないのに、練習することに何の意味がある?

 

ウダウダと練習に行かない理由を探してるうちに、時間は過ぎ、今から行っても30分しか練習できない時間となる。

 

(時間がないから、今日はやめよう)

 

こうして、練習に行かない日々が続いた。

まれに、他の道場から出稽古に来てくれる友人から連絡があったときのみ、しぶしぶ、ラスト30分だけ参加するといった具合。

 

 

私はいつからこんな堕落した人間になってしまったのだろう――

 

 

これもすべて、コロナのせいだと責任転嫁していた。

コロナに起因するため、悪いのは私ではないと、自ら動こうとはしなかった。

 

 

閉じていた目を開け、現在時刻を確認した。

 

――いますぐ出かければラスト30分、いや、25分くらいスパーできる

 

そう気づいた瞬間、私はベッドから飛び起き、道着に袖を通した。

 

自宅から道着姿で練習に行ったことなど一度もないが、形振り(なりふり)構っていられるほどタイムリミットに余裕はない。

マンションを出ると、ダッシュでタクシーを捕まえた。

 

 

25分でもいい、スパーリングしよう。

恥ずかしい試合だけはぜったいにしたくない。

試合に出るか出ないか、まだ決めてないが、体重とフィジカルだけは仕上げておきたい。

 

私は、「動くための言い訳」を、ようやく手に入れた。

 

 

――数日前まで、はやく時間が過ぎないかな、と願う自分がいた。

いま、少しでもゆっくり時間が過ぎてほしい、と願う自分がいる。

 

 

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