寝坊した。
しかも、大寝坊だ。
本日の柔術の練習は、10時30分から13時30分までだが、現在時刻はなんと、12時28分だ。
今から急いで出かけても、ラスト30分すら間に合わない。
もう一度、目を閉じようかどうしようか、迷う。
*
コロナが我々人間にもたらした最大のネガティブインパクトは、あらゆる気力を奪われ無気力になることだ。
テレワークが広まり、場所的・時間的拘束による労務管理体制が崩壊した。
その結果、人々は平和で安全に、自宅で業務を遂行することが可能となった。
コロナ騒動によるテレワーク実施から一か月が過ぎると、感度の良い人は薄々気づき始めたことがある。
「これは本来の仕事のあり方ではない、本来の日常生活ではない」
そりゃそうだ。
これまでの、フィジカル就労環境下での業務方法を緊急的に踏襲し、出来そうなことだけを自宅で行っているのだから、そもそもフィットするわけがない。
効率が上がるなんてこともない。
一時的にそう感じることもあっただろうが、それは環境の変化によるリフレッシュ効果だ。
仕事のありかた、組織のありかた、働くことの意義や目的、そもそも根本的な変化と改革が必要なわけで、その場しのぎのテレワークなど、通用するはずもない。
そして、この「なんちゃってコロナ対策」は、健康な人間の心を蝕んでいった。
*
すべてがめんどくさい。
別に誰とも会わないから、風呂入らなくてもいいか。
別に予定があるわけじゃないから、朝まで起きててもいいか。
別に試合があるわけじゃないから、練習しなくてもいいか。
私自身がかなりの確率で壊れかけたころ、小倉先輩(仮名)のツイッターで、来月から柔術の試合が始まることを知った。
(へぇ、そうなんだ)
感動したわけでも興奮したわけでもない。
ただその事実を知り、記憶しただけだった。
エントリーするかしないかも不明で、「だからなんだ?」という程度の熱量しか、柔術に対する想いは残っていなかった。
*
6月に、所属ジムでの練習が再開されてからというもの、それまでとは比べ物にならないほどのやる気のなさに、自分でも驚いた。
週10(二部練も含めて)で柔術に励んでいた私が、週1程度の練習しかしなくなった。
しかも、毎回遅刻。
遅刻には理由があった。
気持ちがまったく乗らないため、重い腰を上げることができなかったからだ。
練習に行って何になる?
なんの目標もないのに、練習することに何の意味がある?
ウダウダと練習に行かない理由を探してるうちに、時間は過ぎ、今から行っても30分しか練習できない時間となる。
(時間がないから、今日はやめよう)
こうして、練習に行かない日々が続いた。
まれに、他の道場から出稽古に来てくれる友人から連絡があったときのみ、しぶしぶ、ラスト30分だけ参加するといった具合。
私はいつからこんな堕落した人間になってしまったのだろう――
これもすべて、コロナのせいだと責任転嫁していた。
コロナに起因するため、悪いのは私ではないと、自ら動こうとはしなかった。
*
閉じていた目を開け、現在時刻を確認した。
――いますぐ出かければラスト30分、いや、25分くらいスパーできる
そう気づいた瞬間、私はベッドから飛び起き、道着に袖を通した。
自宅から道着姿で練習に行ったことなど一度もないが、形振り(なりふり)構っていられるほどタイムリミットに余裕はない。
マンションを出ると、ダッシュでタクシーを捕まえた。
25分でもいい、スパーリングしよう。
恥ずかしい試合だけはぜったいにしたくない。
試合に出るか出ないか、まだ決めてないが、体重とフィジカルだけは仕上げておきたい。
私は、「動くための言い訳」を、ようやく手に入れた。
――数日前まで、はやく時間が過ぎないかな、と願う自分がいた。
いま、少しでもゆっくり時間が過ぎてほしい、と願う自分がいる。
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