「あ?」
これほど強烈に、しかも確実に「輩(やから)」であることを示してきた男は、ポールしかいない。
ポールは音痴だが、私がそれを軽くディスったせいで、自らの歌声を録音した音源を送ってこなくなった。
天才が努力をしてようやく花開くこの世界で、底辺を這いつくばる極普通の人間が努力もせず、快楽を味わえるはずなどないのだが。
努力を惜しむポールは、歌の練習をサボリ酒をかっくらい、怠惰な生活を送っているのだろう。
ただし先日、
「最近の曲をカラオケで歌ってみたら、全国平均にも届かない」
というような趣旨の発言をしていたため、隠れてコソコソとカラオケはしているようだ。
まぁ、楽しみでカラオケをすることは良いことなので、そこへお勉強を持ち込んで楽しみを奪うのはかわいそうだから、やめておこう。
*
ふと、輩(やから)ってなんだろう、と考えた。
ジムで久しぶりに会ったリアル美魔女に、
「最近、髪の毛の色落ち着いたよね。輩(やから)っぽくない」
と言われた。
輩(やから)って、アレだよね?ガラの悪い、ついでにタチの悪い連中、というような意味の。
髪の毛の色が金髪であったとしても、それこそオシャレで素敵な女性は山ほどいる。
しかし、私がそれをすると、輩(やから)になる。
これはいったい、どこにその違いがあるのだろうか。
――突然だが、高須幹弥をご存知だろうか。
あのテレビCMで有名な高須クリニック院長、高須克弥氏のご子息だ。
年商70億のクリニックで、美容外科医として働く幹弥医師。彼のYouTubeが、じつに素晴らしい。
どう見ても真面目な顔つき。
抑えようにも溢れ出るおぼっちゃま臭。
神妙な面持ちで医療系の話をするときと、イマドキっぽい言葉を無理に交えながら、大盛ペヤングを完食するときとのギャップがすごい。
「コンチワッスゥ~」
「こんなんねぇ、ラクショ〜ッスよ」
「いっただっきやぁ~ッス」
「キモチェェ~~」
ぜったいに、素ではなさそうなこれらの発言の数々。
高須家に生まれた運命ともいえる、ゴールまで決められた人生を真っ当に歩み続けた、幹弥(敬称略)。
ところが最近、これまでの鬱憤(うっぷん)を晴らすかのようなハジケっぷりを見せている。
見た目からは想像しがたい発言の数々が人気となり、今や「副業が医師」と言われるほどの立派なユーチューバーに育った。
――そんな幹弥を見ていて思った。
彼がどんなに「輩(やから)」っぽく振舞ったとしても、それこそ滑稽で輩とは似ても似つかない。
そこにはどうしても、育ちの良さが現れてしまうからだ。
なのに、私が黙って立っているだけで、髪の毛が金髪というだけで「輩」認定される。
これは、金髪云々関係なく、幹弥でいうところの「育ちの良さ」が、私でいうところの「輩(やから)っぽさ」にあたるのだろう。
人は見た目のイメージが重要だ。
それでも、「無理してる感」と「ナチュラル感」の違いは、伝わってくる。
となると、私はどう頑張っても、輩(やから)派ということになるのか。
――たしかに、思い返せば輩業(やからぎょう)の数々が脳裏をよぎる
カフェで仕事の打ち合わせをしたときのこと。
初対面のクライアントのパンケーキに乗っかっていたホイップが、私より多かったことを指摘すると、
「よ、よかったらこちらをどうぞ。私、甘いものがそこまで得意ではないので・・・」
と言わせて、ホイップの多いパンケーキと交換させたことがある。
もちろん、「交換してほしい」などとは一言も言っていない。
先方のご厚意による、交換の意思表示だ。
それでも巷では、これを「輩(やから)」と呼ぶのだろう。
*
そんな私ですら、なかなか対面もせずに輩(やから)認定されることはない。
それが、会ったこともないポールがたった一言で、みなぎる輩(やから)感を出してきたのだ。
(こいつ、ぜったいに輩だ・・・)
そう決定づけるに足る、たった一言。
「あ?」
仮に、前出の幹弥がこの発言をしたとしても、決して輩ではないだろう。
(あぁ、幹弥先生、頑張ってワイルドな感じを出してるんだろうな・・・)
この程度の印象だろう。
そういう意味で、ポールはすごい。たった一言で、輩であることを知らしめたのだから。
――こうして、言葉の奥深さと言霊の意義を考えさせられた、今日この頃だった。
————————-キリトリ線—————————-
アイキャッチは、希鳳さんのイラスト。どれもカワイイんで、インスタチェックしてね✔️✔️
コメントを残す