「いつも食事ってどうしてるの?外食とか?」
そう友人から尋ねられた時のこと。自炊などするはずもなく、それでいて大食いのわたしが、どのようにして胃袋を満たしているのか興味がある様子。そりゃそうだ、わたし自身もどのような食生活を送っているのか、興味があるわけで——。
ところが、日々どのような食事をしているのかすぐには思い出せなかった。これがもし、どこかのレストランへ行ったのであれば「昨日はどこどこで何を食べた」となるだろう。もちろん、自炊したのならば「昨日はなになにを作った」という感じで、記憶の片隅に残るはず。だがなぜか、どうしても思い出せないのだ。
(やべ、脳の老化か・・)
「なぜ昨日の食事が思い出せないのか」について考えながら帰宅したわたしは、リビングのテーブルを見てすべてを悟った——そうか、わたしは食材そのものを貪り食っていたんだ。
そこには、ニンジン・トマト・キュウリ・サツマイモ・ジャガイモ・リンゴ・みかん・バナナが裸のまま並べられている。さすがに、サツマイモとジャガイモはレンチンするが、その他については手を伸ばして掴むことができたら、そのまま口へ運ぶのみ——そう、わたしはそれらの青果物を洗いもせずに食べるのだ。
なぜ洗わないのか・・って?それは「ただ単に面倒くさいから」である。さすがに土が付着していたら洗い流すが、パッと見で汚れていなければそのまま齧りつくのがわたし流。当然、皮ごとガブっといくため、フードロス問題など起こりえない。
そういえばここ最近、みかんですら外皮ごと食べるようになった。とはいえ、常温のみかんをそのまま食べるのではなく、冷凍庫で凍らせてから齧りつくのだが。
みかんの皮には”リモニン”と呼ばれる苦み成分が含まれており、冷凍することでそれらが破壊される。さらに、外皮に含まれる繊維質も柔らかくなるため、まるで果実と一体化したかのような食べやすさが生まれるのだ。
このような理由から、みかんを買うとすぐさま冷凍庫へぶち込むようになったわたしは、仮に10個買ったら3個くらいは常温で——皮をむいて——食べることにしているが、一度「まるごとみかん」を覚えてしまうと、外皮ごと食べない状況に物足りなさを感じてしまうから不思議である。
——おっと、話を戻そう。食材をそのまま丸ごと食べるわたしは、食事というより”草食動物が餌を食べている感覚”に近いのかもしれない。なぜなら、彼ら彼女らは生きるために食べ物を食べており、ニンゲンのように決まった時間にいただく”食事”とはわけが違う。だからこそ、「昨日、何を食べたか」など覚えていないのだ。
(口さみしくなったらニンジンを齧り、塩分がほしくなったらミックスナッツを頬張り、たしかに動物的な食べ方をしているな・・・)
そんな野性的なわたしが、なんと腹を下したのである。
昨夜レンチンしたジャガイモが残っていることを思い出したわたしは、小腹が空いたのでそれらを食べることにした。冷蔵庫のドアを開けると、耐熱ボウルの中にゴロゴロとこぶし大のジャガイモが転がっている——。
やはりジャガイモは熱々のホクホクが理想であるため、器ごとレンジへ放り込むと3分加熱した。昨夜の時点ですでに15分加熱しているので、ジャガイモの中が生・・ということはないはず。よって、この加熱は単なるクオリティ向上のためであり、なにも警戒することはなかった。
そして、いい感じに温められたジャガイモを口へと運んだ瞬間——うん、美味い!!
ジャガイモというのはなぜこうも美味いのだろうか。ニンゲンはトウモロコシから作られたと言われているが、ジャガイモから作られた可能性も否定できないくらい、我々との相性がいい食材である。
そんなホクホクのジャガイモをせっせと胃袋へ送り込んだわたしは、突如、激しい腹痛と腸内で響き渡る煽動音に見舞われた。こ、これは——?!
滅多に腹を壊すことのないわたしが、たかがジャガイモごときで腸が反乱を起こすなどにわかに信じられない。ましてや、腐っているわけでもカビているわけでもないジャガイモで、なぜこんなことに・・。
思い当たる節もないまま、腸の異常な煽動運動にじっと耐えるわたし。だが一つだけ、確かな事実として「わたしはジャガイモを食べて腹の調子が悪くなった」ということが挙げられる。なんせ、混じり気なしの純粋なジャガイモのみを食べたのだから、原因は紛れもなくジャガイモ一択なのだ。
(だからどうした・・と言われればそれまでだが)
*
というわけで、わたしの食事方法は「食材を丸ごと食べる」というシンプルなスタイルのため、このような事件や事故が起きない限りは記憶に残らない。
・・などと偉そうなことを言いながら、忙(せわ)しくトイレを往復するのであった。
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