鎖国万歳!長野に起きた革新的な変化

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わたしは今日、閉鎖的かつ差別主義者が集う都市・長野が、驚くべき成長を遂げたことに驚かされた。

 

*

 

年始に帰省した際、現金を持ち合わせていないわたしは、長電バスへの乗車を拒否された。なぜなら、長野のバスはsuicaやパスモといった全国共通の交通系ICカードが使えないため、現金がなければバスの利用ができないのだ。

とはいえ、長電バス専用のICカードなるものは存在し、そこへチャージすることで"キャッシュレス乗車"は可能。ところが、このICカードを手に入れるためには現金が必要であり、チャージするにも当然ながら現金が必要となるため、どのみちわたしにとっては夢物語というわけだ。

 

「クレジットカードならば持っているので、乗車券なりICカードを購入できませんか?」

「できません」

「では、どうやったらバスに乗れるんですか?」

「(現金がないなら)乗れませんね。あとはキャッシングするとか?」

・・正気の沙汰とは思えない冷酷な対応に、長野県出身者として恥と絶望を感じたわたし。

結局、クレジットカードが使えるタクシーに乗ったわけだが、ウインタースポーツや自然を満喫するべく訪れる多くの外国人観光客は、この体たらくをどう思っているのだろうか——などと悶々としつつ、圧倒的な時代錯誤っぷりに辟易した。

 

そんな閉鎖的で情弱な都市である長野が、驚くべき革新的な変化を起こしていたことを、わたしは今日知ることとなったのである。

 

 

正月ぶりに帰省したわたしは、長野電鉄(電車)に乗るべく窓口へと向かった。なぜなら、券売機は現金オンリーのため、有人の窓口へ行かなければクレジットカードが使えないからだ。

「クレジットカードで切符を買いたいのですが・・」

念のため、駅員に確認をしたところ、

「電子マネーならばあちらの券売機になりますが、大丈夫ですか?」

ちょっと意味の分からない説明に、わたしは一瞬戸惑った。電子マネーという高度な文化は、後進都市・長野には浸透していないはず。それなのになぜ、あちらの券売機で・・などという嘘をつくのだ?

 

怪訝そうな顔をしていると、駅員は続けてこう言った。

「3・4の券売機ならば、スイカやパスモ、PayPayなどが使えますよ」

・・・すいか?ぱすも?ぺいぺい??それらは現代テクノロジーの結晶であり、キャッシュレス決済の象徴ともいえるパワーワードではないか。そんな高度なテクノロジーを、時代錯誤の田舎駅が採用するはずもない。

 

しかしながら、真面目な顔で駅員が嘘をついているとは思えず、キツネにつままれたわたしは券売機へと向かった。そして、眼前にそびえ立つ機械を見るなり、思わず卒倒しそうになった。

(ラーメン店の入り口にある券売機と、同じマシンではないか!!!)

そう、われわれがよく目にする券売機と同型の機械が設置されていたのだ。こんな奇跡が起こるとは・・いや、起こるとしてもあと10年はかかると思っていたものが、まさかここまで迅速に実現してしまうとは、信じるほうが難しいくらい嬉しい誤算である。

 

個人的には、Suicaやパスモで直接改札を通過したかったが、そんな贅沢をいったら罰が当たる。キャッシュレスで乗車券が購入できるようになっただけでも、江戸時代から令和へタイムリープしたようなもので、鎖国状態の長野に革新的な変化が起きたのだから——。

 

こうして、近代的な方法で乗車券を購入したわたしは、意気揚々と電車に乗り込んだ。電車は一時間に2本しか走っていないため、30分前から車内で待つことができるという、都会では信じられないサービスが田舎にはある。

その後、発車時刻を迎えた電車に揺られて最寄り駅へと到着したわたしは、なぜかホームで運転手から握手を求められた。

(観光客向けのサービスか?)

「ありがとうございました」と笑顔で手を伸ばす運転手に、驚きつつも笑顔で礼を返したわたしは、そっと右手を差し出した。

「あ・・えっと、乗車券を・・・」

 

——そうか。この駅は夜になると無人化するんだった。

これまでは回収ボックスへ切符を放り投げていたが、いつからか運転手へ手渡す方式に変わったのだろう。それなのにわたしは、運転手と握手を交わしてしまったのだ。

 

(こういう勘違いを防ぐためにも、Suicaで通過できる改札を設置してもらいたいものだ)

 

・・これもまた、田舎あるあるである。

 

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