些末で無駄だが、頻繁に起こりうる日常的な後悔

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人生に後悔はつきもの。だがそこまで重篤なものではなくても、「できるならばもう一度、いや、もう5分だけ巻き戻してもらえないか」と願わずにはいられない状況は、日常的にわりと多い気がする。

そんな日常的なことならば、少し気を遣うとか慎重に行動するとか、後悔を未然に防ぐ方法はいくらでもあるだろう。しかし不思議なもので、「よし、完璧だ!」という時に限って、他人は評価してくれないのである。そのくせ、「頼むから誰も来るなよ・・」と祈るような気持ちでドアを開けると、そこにはヒトが立っていたりするのだ。

とはいえ、ドアを開けるまで次の一瞬は決まっていないわけで、そこは覚悟を持って開けるしかないのだ。それなのに今日、わたしは後ろ髪を引かれる思いを抱えたまま、ドアを開けてしまったのだ。

 

 

トイレットペーパーの先端が三角形に折られている時がある。スタッフがトイレ掃除をした合図だろうが、それを見るとわたしもつい三角にしたくなるのだ。

たとえ清掃したばかりだとしても、わたし一人が用を足したくらいで(しかも小)、それほど大きな汚れは発生しないだろう。それよりも「立つ鳥跡を濁さず」の精神で、いかに入室時と同じクオリティーを保てているか、いや、それ以上に整った状態で個室を後にするかが、わたしにとっては重要課題なのである。

 

無論、トイレ室内を汚すことなどあり得ないわけで、それどころかペーパータオルが散乱していたら整えるし、手洗い器の周辺に水滴が飛び散っていたら拭き取るし、可能なかぎりの簡易清掃は行っている。

そうでなければ、もしも次の利用者とすれ違った際に、「あいつ、トイレの使い方きたねぇな」と誤解されてしまう。もう二度と遭わない相手だとしても、彼女の記憶に「トイレの使い方がきたねぇオンナ」という印象で焼き付いてしまうことは避けたい。となれば損な役回りではあるが、わたし自身がトイレを綺麗にして退出するしかないのだ。

 

まぁこれは比較的当たり前だと思うし、わたしでなくてもそうする人がほとんどだろう。誰だって他人の尻ぬぐいなどしたくはないが、それでもその失態が自分が犯したものだと思われるくらいならば、なにがなんでも抹消するだろう。

(なぜわたしが原状回復をしなければならないんだ・・)

なんとも忌々しいが、誤解されるくらいならばやるしかない。万が一のためにも、自分史に泥を塗ることはできないからだ。

 

だが個人的に、すごく些末な部分ではあるが、トイレットペーパーの切れ目に沿ってカットできなかった時に非常に悩んでしまう。もしも切れ目から飛び出ている場合は、その部分をカットして真っすぐに揃えればいい。だが、切れ目よりも深く破れてしまった場合、次の切れ目までトイレットペーパーを無駄に切り取ることになる。

あえてそんな無駄な行為を実行する必要などないし、くだらないプライドのために紙を無駄遣いするなど言語道断。そもそも、切れ目に沿ってカットできなかったわたしが悪いのだ。己の技術力のなさを悔やみ、反省するしかないだろう。

 

・・と、どれほど言い聞かせても納得することはできない。ヒトの出会いは一期一会というではないか。わたしと入れ違いでトイレに入った女性が、このトイレットペーパーの切り方を見れば、

「あぁ、こういうちょっとした部分を気にすることのできない、ガサツな野郎だったのか」

とガッカリするに決まっている。こういうときは、先端を三角形にしてごまかすことを考えるが、もしもこの三角が清掃終了の合図だとしたら、それこそわたしが次の利用者を欺くことになる。

 

そもそも、わたしが使用していたはずのトイレなのに、トイレットペーパーが三角に折られていて、あたかも未使用のようにしれっと存在していたら、それはそれで不快な気分になるだろう。

二つ設置されたトイレットペーパーの、いったいどちらをアイツは使ったのだ——。

このように疑心暗鬼になった利用者は、尿意も便意も喪失するかもしれない。そう考えると、ここはそっとしておいて、ドアを開けたら素早く逃げるのが得策か。いや、そもそも次の利用者が待っているとは限らないわけで、誰もいない可能性も大いにある。

 

(そうだ、このタイミングで誰かと入れ替わるなどあり得ない!)

 

 

こうして、名残惜し気に真っすぐカットできなかったトイレットペーパーを見送りながら、わたしはトイレのドアを開けた。すると案の定、順番待ちをしていた女性と目が合ったのだ。

(あぁ、終わった・・・)

わたしは全力でその場から走り去ったのである。

 

Illustrated by 希鳳

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