あっという間に、弊コラムは4年目を迎えました。

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あっという間といえばそうかもしれないが、その分、加齢により刻一刻と死へと近づいているわけで、そんな現実から目をそらすべく、もっとゆっくり三年目を終えたい気持ちもあった。

だが時は容赦なく進み続けるし、気がつけばもう四年目の第一歩を踏み出しているわけで。

 

そう、このくだらないブログの連続投稿記録が、本日、四年目を迎えたのである。

 

「よくあれだけの量を毎日書けるよね」

そんなお褒めの言葉をいただくこともあるが、そう言ってくれる人のほとんどは、毎日読んでくれているわけではない。いや、それはそれで別にいいのだ。週末にまとめ読みしてくれてもいいし、一カ月の締めくくりに30話を一気に読破してくれてもいいし、各人のペースで「いつかは」読んでもらえればいいのである。

「いつか必ず読め」という、この部分だけは半強制的だが、ペースまでは指定しないので好きに進めてもらえればと思う。だが夏休みの宿題と同じで、溜めれば溜めるほど後が厳しくなるので、できれば毎日読んでもらえると助かるのだが。

 

そもそも、日々のどうでもいいネタをコラムにしているこのブログは、言うなれば「四コマ漫画のコラム版」である。

「四コマ漫画の感覚で読んでみたら、長くて読んでらんなかった!」

そんな不満を漏らす友人がいた。・・バカか。本を読まなくなった日本人どもに、少しでも文章を読む習慣をつけてやろう——という目論見があるのだから、二千字程度のボリュームは最低限の必須条件だ。

 

改めて思うことだが、YouTubeやTikTokにどっぷり浸かってしまった現代人は、なんでも受け身で手に入ると思っている。勝手に動く画面と勝手に流れる音声に身を委ねながら、あたかもそれらが脳に刻まれたかのように思い込んでいるのだ。

それは電窓から景色を眺めているのと同じで、目で見てはいるが体験したわけではない。その土地を歩き、草木の匂いを嗅ぎ、物に触れ、ヒトと会話をし、なにかを感じることで初めて「そこへ行ったことがある」と言えるわけで、ガラス越しにどれほど凝視したとて、実際には何一つ手に入れていないのだ。

 

そして、「己の足で地面を踏みしめる」という行為に当たるのが、「文章を読むこと」だとわたしは考えている。

動画と違って文章は、己の目で読み進めなければその先を知ることはできない。さらに、文字が読めるからといって文章が理解できるとは限らない。なぜなら、文字が読めても意味が理解できなければ、物語を満喫することも完成させることもできないからだ。

登場人物の心境や作品の結論が明記されていなかったとしても、そこへ導くためのヒントは至る所に散りばめられている。それらを拾い集めて繋ぎ合わせることで、自分だけの映像が脳内に描けるというのが、文章の持つ圧倒的なチカラといえる。——そう、自分だけの唯一無二の景色を描くためにも、言葉を理解し場面を想像することができなければ、それは「読んだ」とは言えないのだ。

 

・・まぁ、偉そうなことを語ったところで、それに値するような文章を提供しているわけでもないので、わたしが書くコラムはやはり「四コマ漫画」の路線を維持しようと思う。

Twitterのように、パッと見て読み終えることのできるソーシャルメディアは、例えるならば一枚のイラストだろう。後にも先にもその一枚で勝負するしかないわけで、一瞬の面白さが醍醐味といえる。

対するわたしのコラムは、何枚かのコマから成る漫画のような文章を目指しているので、面倒でもどうにかして読み進めてもらわないと、4コマ目にたどり着かないのだ。・・おっと、だからといって最後にオチが待っているわけでもなんでもないので、過度な期待は不要である。

そして、立派な内容を的確な文体で書き記した作品とも違うので、やはり、気軽に読めて内容の薄い四コマ漫画風なコラムというのを、ウリにしていきたい。

 

「過去の記事まで遡ろうとすると膨大な量になるから、今日から先を読むことにするよ」

そう宣言した友人がいる。そんなことを言われると、今日から先も手が抜けなくなるじゃないか。頼むから、千を超える膨大な「くだらなさ」を漁ってはもらえないか——。

 

 

とりとめもない独り言だったが、五年目もまた同じようなことを書いているに違いない。そうなるように、今日からまた一歩ずつ進んでいこう。

今日まで読んでくれて、ありがとう。

 

Illustrated by 希鳳

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