「具合悪い詐欺未遂」の疑いをかけられた乙

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犬にも「外面(そとづら)のいい個体」というのが存在するのだろうか。はたまた、緊張による筋肉の収縮で一時的に症状が改善されただけなのか——。

 

 

乙(フレンチブルドッグ、メス・11歳)は、今にも死にそうな表情で苦しそうに息をしていた

検査後に分かったことだが、鼻腔内に大きなポリープができており、鼻呼吸はほぼ不可能な状態だった。おまけに、長く伸びた軟口蓋(のどちんこ)が気道を塞いでいるため、口から息を吸い込むことも困難となっていた。よって、乙は窒息寸前の生き地獄を味わっていたのだ。

 

そんな瀕死状態の乙の背中をさすりながら、母は、これまでの日々を噛みしめるように思い出を口にしては涙を流した。対する乙は、三日三晩寝ておらず意識も朦朧とした状態で舟を漕いでいる。そして耐えきれずに床へと崩れ落ちると、今度は呼吸ができない苦しさから起き上がり、必死に体を支えながら天を仰ぎ、また苦しそうに息をするのであった。

 

・・この様子を動画撮影したものを、犬を飼っている友人らに見せたところ、目に涙を浮かべて「もう見ていられない」と、スマホを突き返す者もいた。そのくらいに乙の状態は最悪で、あと数日の命だと思われたのだ。

そして、飼い主であるわたしは朝イチの新幹線で長野へと向かった。もしもこれが乙と過ごす最後の時間だったとしても、悔いのないようにしっかりと送り出してあげよう——。

そんな強い意志を胸に、乙の元へと急いだのである。

 

 

動物病院の入り口の前で、わたしは大きく深呼吸をした。

このドアを開ければ、そこには乙の姿があるはず。もしかすると、ぐったりと疲弊しきっているかもしれないし、低酸素脳症で意識障害を起こしているかもしれない。わたしのことなど分からないくらい衰弱しきっていたならば、いったいどんな顔をして乙と対面すればいいのだ——。

考えるだけで涙が溢れてくるが、ここで立ち止まるわけにはいかない。わたしは飼い主の責任を果たすべく、思い切ってドアを開けた。

 

(・・・お、乙?!)

そこには、母の膝の上でキョトンとした顔の乙がいた。そして母も、ニコニコしながらこちらに向かって小さく手を振っているではないか。

 

(・・わたしは幻でも見ているのだろうか? 昨日の夜中、電話の向こうで泣きじゃくっていた母が、今はもうケロッとしている。そして、あんなに辛そうにしていた乙が、背筋を伸ばして見事な座位を維持しているではないか。これはいったいどういうことなんだ——)

 

慌てて乙に駆け寄り様子をうかがうと、やはりいびきのような異常呼吸音をみせた。だがそれは、母から送られてきた動画にあるような"断末魔の地響き"とは異なる、わりと普通のいびきに聞こえるのだ。

「乙、どうしたんだ? 少し楽になったのか?」

そんなはずがないことくらい百も承知だが、昏睡状態の乙を想像していたわたしは、ある意味拍子抜けした。無論、嬉しい誤算ではあるが、なぜこのように豹変したのだろうか——。

 

「URABEさん、どうぞー」

しばらくすると乙の順番がやってきた。本日は、奇跡的に予約がとれた敏腕・院長による手術のため、処置に対する不安はなかった。だが、診察の段階で大きな不安があった。なぜなら、今の乙はさほど"重症患者"には見えないからだ。

「あれ?思っていたより酷くないね」

開口一番こう言った院長は、やや拍子抜けした様子だった。そうなのだ、なぜか乙が「元気なフリ」をしているのだ。

 

——こんなはずはない。自宅にいたときの乙はまさに風前の灯火。いつ逝ってもおかしくないくらいに、衰弱しきっていたのだから。ていうか、これでは「具合悪い詐欺」になってしまうじゃないか!

 

そこでわたしは、スマホを取り出すと必死に動画を探した。誰もが涙する、フラフラの乙の姿を見てもらわねば——。

「せ、先生。これを見てください!!」

手術の説明の途中だったが、それを遮るかのようにわたしは悲痛な表情の乙を見せた。もちろん異常呼吸音も入っているし、眠たくても横たわることができない哀れな姿も収められている。

すると、動画に映る乙・・いや、スマホから聞こえる呼吸音を聞いた院長が、

「あー、これは鼻に何かある感じだね」

と言ってくれたのだ。

 

(よ、よかったぁ!!そうなんです、だから内視鏡で見てもらいたいんです!!)

執刀医かつ動物病院の院長に向かって言うことではないが、じつはわたしの知人で呼吸器専門の獣獣医師がおり、これまでの経緯や病状を伝えていたわたしは、彼からオンラインで見立てをもらっていた。そして、初めて呼吸の動画を見せた時から「内視鏡検査をしてください」と言われていたのだ。

だが、犬の内視鏡検査は全身麻酔が必要となるため、診察当日に実施することは難しい。そこでわたしが前日に病院へ電話をし、「明日、内視鏡検査をお願いします!」とゴリ押ししたのだ。

 

本日は「軟口蓋過長症(なんこうがいかちょうしょう)」の手術として、軟口蓋の余分な部分の切除を行う予定だった。しかしわたしは、「鼻咽頭よりも鼻側に原因かある」と言い切った、知人・片山獣医師の見立てを信用し、先日も母を通じて内視鏡検査を懇願していた。

だが今までの獣医師には、レントゲン検査の結果から見て取れる"軟口蓋の過長"が原因であり、「鼻側は問題ない」と診断されてしまったのだ。

 

「うーん。軟口蓋を切除してもあまり変わらないと思います。なぜなら、軟口蓋のところで閉塞しているように見えないので、もっと鼻側で気道を閉塞しているものがあるのではないかと思うんです」

軟口蓋の切除で症状が改善するのかを、片山獣医師に尋ねた答えがこれだった。しかも、わたし自身もこの異常呼吸音は喉ではなく、鼻腔で発せられていると感じていたため、何が何でも内視鏡検査を優先したかった。

とはいえ、「他の病院の獣医師からこう言われましたので・・」などと、さすがのわたしも口にはできない。そのため、なんとかして軟口蓋ではなく鼻に病変がある・・とドクターの口から言ってもらいたかったのだ。

 

——そして願いは叶った。さすがは院長である、動画を見た瞬間に「鼻に何かある」と察知してくれたのだから。

 

・・とその時、わたしはふと思った。この世には様々な職業があり、さらに資格を取得するために多くの時間や経験を費やすことがある。だが、その職業に就いていることや資格を取得していることと、その仕事に向いている又は得意であることとは、まったくの別物だと。

なんせ、職業に関する適性というのは、なにを差し置いても「センス」がものをいう。言葉を変えれば、発想力や探求心、あとは疑う勇気などが、作業の進捗や達成率を左右する要素となるからだ。

よく「あの先生は、いい学校を出ているからいいお医者さん」とか「あの病院は立派だから、いい先生がいる」といった迷信を耳にするが、それこそ命取りとなるから気をつけなければならない。そんなはりぼての物差しで、物事の本質が測れるとでも思うのか——。

 

 

こうして、院長にすべてを委ねたわたしは、乙の検査・手術をお願いしたのである。その結果、片山獣医師の見立てどおり、鼻腔内に大きなポリープがありほぼ呼吸ができない状態だったのだ。

院長の手で切除されたポリープは病理へ回され、良性か悪性かの検査をすることに。さらに軟口蓋のほうもキレイにまとめてもらったため、かなり呼吸が楽になった模様。

とはいえ、興奮させて気道が狭まりでもすれば大変なので、乙と面会することなく帰宅したわたしは、心の底から院長に感謝した。無論、片山獣医師にも感謝を伝えた。

 

——それにしても、病院という慣れない場所で緊張したのだろうか。シャキッと背筋を伸ばした乙の気道は、自宅でリラックスしているときよりもしっかりと確保できたのかもしれない。

呼吸困難で酸欠状態、おまけに睡眠不足で朦朧としていたにもかかわらず、緊張状態に置かれれば自然と体が反応するのが、動物の本能というものなのか。

 

そしてこれは人間にもいえるのか、はたまた野生の遺伝子によるものかは分からないが、とにかく生きることに真っすぐな乙を見ていると、一日でも長く人生を謳歌してもらいたいと願うのであった。

 

サムネイル by 希鳳

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