コロナ砲投下

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日曜日の港区・赤坂は閑散としている。

私の通うジムとコンビニ以外、どこも閉まっている。

都心の一等地は休日、ゴーストタウンと化す。

 

ゴーストタウンはさすがに言いすぎだが、赤坂付近の土日は大げさではなく人気(ひとけ)が少ない。

コロナ以前からずっとそうだ。

辛うじて韓国・中国系の飲食店が店を開けている程度で。

 

そして柔術の練習が終わったあと、どこで腹ごしらえをするかが日曜日の課題となる。

普段はなんとなく赤坂方面へ出向くのだが、本日は赤坂見附方面へと歩き出した。

 

近所とはいえ、赤坂見附を訪れることはほとんどない。

なぜなら私の通勤ならぬ「通ジム」経路は、地下鉄・南北線ゆえ赤坂見附は通らないからだ。

 

同じ赤坂、どうせ大した変わりはないだろうと高を括っていた矢先、

赤坂見附の飲食店は、かなり営業しているではないか。

韓国・中国系だけでなく、和食もラーメンもタピオカも銀だこも、どこもかしこも見事に営業中。

赤坂(ジム近辺)の寂しさは何処へ。

 

キョロキョロしながら店を物色する私の目に、ここ以外に行く場所はないだろうという看板が飛び込んできた。

 

「ひとりしゃぶしゃぶ 七代目 松五郎

 

何を隠そうこの私、豚しゃぶが大好物なのだ。

肉料理でもっとも好きなものは?と尋ねられたならば、即答で「豚しゃぶ」。

 

豚肉の持つ不思議な魅力といえば、値段の高低にかかわらず安定した味を提供するところ。

牛も鶏も、わりと値段に左右される。

下ごしらえや味付けでかなり変わる部分はあれど、豚肉ほど落差の少ない肉はないだろう。

 

とくに豚バラをこよなく愛する私は、しゃぶしゃぶ店へ行くと豚バラのみを延々と頼み続ける。

むしろ野菜もマロニーちゃんもいらない、豚バラを堆(うずたか)く積んでくれればそれだけで十分だ。

 

話を看板に戻す。

そもそも一人でしゃぶしゃぶ店へ入ることを想像すると、意外とハードルが高い。

牛丼屋やラーメン屋へ入るのとは、なにかが違う。

 

ーー鍋のせいだ

 

ふと気が付いた。

そうだ、出汁の入った鍋でしゃぶしゃぶするわけで、あのデカイ鍋を独り占めは、やや気がひけるのだ。

 

その点、この店は「ひとりしゃぶしゃぶ」を謳っており、店外から目視するにカウンターにずらりと並ぶ銀色に輝くミニ鍋が確認できる。

ーーきっとコロナ対策だ

 

この店自体が新しく、オープン間もないはず。

食事における密を避けるため、あえてこのような形態のしゃぶしゃぶ店をオープンさせたのだろう。

なんという涙ぐましい経営努力。

 

このように甚(いた)く感動する私が、なぜさっさと店内へ入らないのか。

じつは昨夜、「しゃぶしゃぶ温野菜」で豚バラ10皿を平らげているのだ。

まだ体内には昨夜の豚バラが残存する。

いくら大好物とはいえ、このまま突入していいものか。

 

この馬鹿げた自問自答は5秒と持たず、気づくと目の前の自動ドアが開いた。

 

 

ご多分に漏れず、本日も豚バラのみを注文する。

この店の特筆すべきはご飯おかわりし放題というところ。

どれだけでもおかわりできるこの米、なんと業務米ではなくコシヒカリだという。

そしてシメにはラーメンまで付いてくる。

 

(いくらコロナ対策でできた店とはいえ、大丈夫なのだろうか)

 

勝手に心配になった私は、本日のバイトリーダーと思しき好青年に話しかける。

「この店、コロナ対策をヒントにできたんでしょ?」

「ちがいますよ」

(・・・え?)

「コロナ前から計画していたんで、時代を先どりした感じですよね」

(なんと・・・)

「そ、そうなの?でも七代目って」

「もとは渋谷にあるすき焼き店で、そういう名前なんですウチ」

 

渋谷にある「厨 七代目 松五郎」は、2012年にオープンしたすき焼き&ワインダイニングバー。

オーナーの発案により、

「A5ランクの黒毛和牛の熟成肉を、一人で気楽にしゃぶしゃぶできる店」

というコンセプトで昨年6月、この店がオープンした模様。

 

間違いなくコロナ対策で誕生したニュータイプのひとりメシ店だ、と確信し心打たれた私の感動は一気に冷めた。

だが、コシヒカリをおかわりし放題という部分の感動だけは、未だに残っている。

 

 

最後に、コロナ関連で未確認情報を一つ。

 

サラリーマンの父親に妊娠中の母親、幼稚園に通う女児2人という、幸せに満ちた家庭がある日、新型コロナウイルスに襲われた。

幸いにも2人の子供は軽症ですぐに退院。

しかし母親は思うような治療ができず、お腹の子とともに死亡。

感染経路は父親が通っていた、いわゆるガールズバーが濃厚とのこと(未確認)。

そして現在、ECMO(エクモ)につながれる彼はこの事実を知らない。

 

母親死亡の直接的な原因はコロナではないかもしれないし、感染経路も父親のガールズバーではないかもしれない。

だが結果的にこうなってしまうと、残された家族、とくに父親にとっては地獄でしかないだろう。

仮に父親も死亡した場合、2人の幼子らの将来を思うと筆舌に尽くしがたい。

 

 

この話が嘘だのホントだの、新型コロナウイルスが怖いだの怖くないだの、そういうことではない。

 

今まさに我々の目の前にある、この「現実世界」を生きるためには、やはり「やってはいけないこと」があるということを、肝に銘じておくべきだろう。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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