「北赤羽」という場所へ向かうべく、わたしは乗換案内のアプリを起動させた。
最寄りである白金高輪駅からは、地下鉄南北線で飯田橋へ行き、そこで有楽町線に乗り換えて池袋駅へ向かい、JR埼京線に乗れば4駅で北赤羽駅である。南北線の終点である赤羽岩淵駅からも、徒歩15分くらいで目的地に到着するので、炎天下の猛暑でなければ徒歩を選ぶだろうが、さすがに35度の昼下がりは避けたいところ。おとなしく電車を乗り継いで向かうとしよう——。
すると、画面上の埼京線の欄に「運行情報があります」というポップアップが現れた。運休なり遅延なり、なんらかのトラブルが起きている・・ということだ。しかし、その内容を見るには課金が必要なため、どんな運行情報が発表されているのかわたしには分からない。
(チッ・・Xでも見てみるか)
乗換案内アプリが教えてくれないならば、庶民の声に頼るしかない。そこでわたしはXを開くと、検索窓に「埼京線」と入力し、最新情報をチェックすることにした。
もちろん、期待していたのは「埼京線、人身事故により30分の遅延」とか「埼京線、池袋ー赤羽間で運休」といった、リアルな運行情報だった。埼京線といえば痴漢が代名詞だが、それなりに事故による遅延も有名である。だからこそ、被害に遭ったX民らが怒りをぶちまけているに違いない——。
「明日マジで埼京線死んでほしい」
「普段から遅延するくせに、台風で運休しないとはどういうつもりだ?」
「明日、埼京線止まったら休んでいいとの言質を得ました」
「湘南新宿ラインが運休なんだから、埼京線オマエも運休だろ!」
「埼京線が事前に止まると言ってくれれば、救われる命がこんなにもあります」
現在の運行情報ではなく、"明日の台風による運休を願うポスト"を読んだわたしは、思わず吹き出した。まさかここまで埼京線が嫌われている・・いや、期待(?)されているとは、予想だにしなかったからだ。
日頃から遅延ばかりでクズ扱いされている埼京線が、こんな時にまさかの"漢気"を見せてしまったのだから、フルボッコにされるのは至極当然。しかも、近所を走る湘南新宿ラインが運休を発表したにもかかわらず、埼京線は「遅延の恐れあり」という濁し方で逃げているのだから、埼玉県民の怒りを買うのはごもっとも。
加えて、ここまで運休を切望されている路線は他には見当たらないため、埼京線が哀れというかなんというか、「もうさぁ、明日くらい休んじゃえば?」と、優しく説得したい気分になるのであった。
とはいえ、都内は台風の影響を受けにくいエリアであることは間違いない。台風が来るたびに満を持して厳戒態勢を敷くのだが、そのたびに空振りに近い肩透かしを食うのだから、たまったもんじゃない。公共交通機関は計画運休を発表し、店舗や企業も臨時休業や時短営業を決め、そこまでしたのにほぼ無風の小雨・・なんてことも多々あるわけで、どうせならドカンと台風らしい暴風雨を見舞ってくれてもいいと思うのだ。
そんな過去の積み重ねがあるからこそ、こちらも疑心暗鬼になってしまうのは致し方ない。無論、備えあれば憂いなし・・は間違いないので、警戒しすぎて悪い話ではないのだが、それにしても電車やバスが運休となると、移動手段を断たれた難民が発生するのだから、ここは死活問題といっても過言ではない。
しかも、「生存」ではなく「死亡」を望む民が多い・・という事実から目を背けてはならない。生きるために運転するのではなく、死ぬために運休してもらいたいのである。
前日から運休が発表された路線については、企業や学校も「欠勤・欠席」を認めざるを得ない。ましてやコロナ禍を経験したのだから、必ずしも出勤せずとも仕事はできるはず。もちろん、何度も乗り換え遠回りをすれば出勤できるかもしれないが、そこまでして呼び出す必要性があるのかどうかも疑問である。
そんなことからも、埼京線を利用する埼玉県民の切なる願いは、同情に値するものであった。手段さえ断たれれば、社畜から一転して自由の身となるわけで、それが「埼京線か湘南新宿ラインか」の違いごときで決まってしまうのでは、さすがに納得がいかないだろう。
・・さて、散々な言われようの埼京線は、どんな英断を下すのだろうか。
*
こうして、明日の台風による埼京線の運行情報ばかりを追ってしまったわたしは、結局、リアルタイムで何が起きているのかを知ることはなかった。
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