センチメンタル・セメント樽(タル)〜都心の遭難者〜

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極東アジアの冬は厳しい。マイナス50度のシベリアと比べるのはナンセンスだが、つい先日まで20度近くあった日中の気温が最高でも一桁台となると、迂闊に外を徘徊できない。無意識に漏れるため息は白く、真冬の到来を感じさせる。

 

――今日もセメント樽に帰るのか

 

正確にはコンクリート壁に囲まれた狭い部屋。「セメント樽」という呼び名は、葉山嘉樹作「セメント樽の中の手紙」のタイトルに惹かれたのと、我が家を彷彿とさせる名称であるとこから、勝手にそう呼ぶことにした。

 

冬場になると毎日寄り道をし、セメント樽での滞在時間を減らす努力をする。そして限界を迎えた私はかじかむ指で鍵を取り出し、ガチャリと重い金属音を鳴らした。

ドアを開ければそこは真っ暗なセメント樽。樽の中でつくため息は、外と変わらず白くふわっと消えていく。

 

――室内なのに白い息。

 

靴を脱ぎ捨て、右手でコンクリートの壁を伝いながら、ゆっくりと歩を進める。薄暗い部屋の入口に着くとおもむろにしゃがみこむ。照明のリモコンを探すため手探りで這いずり回るからだ。

毎度こんなことをするのならば、分かりやすい場所へ置けばいいのだが、それができないのが私というズボラな人間。先日は誤ってリモコンを踏みつぶしたせいで、照明は点いたが消せなくなった。

 

床をまさぐる指先に触れるプラスティックの固形物。

(・・あった)

つぶれたボタンを何度か押すと、ぼやっと黄色い明かりが点く。がらんとした室内は無機質ゆえ、灰色のコンクリート壁が強調される。するとどこからともなくヴーンと唸るような機械音が響いてくる。

――暖房器具の音だ。

 

室内でも息が白いこの牢獄を、少しでも暖めようと24時間体制で暖房が稼働している。温度表示を見ると、30度強風。そんな「30度強風」の部屋で、厚手のフリースを脱ぐことができずガタガタ震えながら床にうずくまる私。

(まるでフランダースの犬だな)

薄れはしない意識のなか、剥き出しのコンクリート壁にもたれかかる。

 

温かいコーヒーが飲みたい――

 

現代において、雨風しのげる室内で温かいコーヒーを手に入れることは、さほど難しいこととは思えないし贅沢なことでもないだろう。だが、私のアジトであるセメント樽の中ではそれすらも困難を極める。

虚無感に襲われながら見上げる先には暖房器具。しかもこの部屋には、暖房が2基設置されている。そのうちの1つを見つめながら思うことは、

「なぜあの暖房はベランダを暖めているのだろう」

これに尽きる。何のためにベランダへ向かって30度の温風を吹きつけているのか。なぜ、無力にうずくまるこの私に向かって、その暖かな空気を送り込んではくれないのか。

打ちっぱなしのコンクリート特有の荒削りな表面に、後頭部でコツコツとノックをしながら考える。

 

――私はなにを間違えたのだろう

 

一日中暖まることのないこのセメント樽、暖房器具は24時間フル稼働するも何の効果も発揮しない。挙句の果てには眠るときまでフリースを纏い、防寒対策をした上でベッドにもぐりこむ。

 

こんな辛く厳しい環境で生きることを、私は望んでいたのだろうか?

ネックウォーマーをずり上げ、ツンと冷えた鼻先を覆いながら一人静かに考える。冷たい床で膝を抱え、剥き出しのコンクリート壁に頭をあずけ、遠くの街灯りをぼんやり眺めながら。

 

 

これぞ日本が誇る都心の一等地、港区白金に必死にぶら下がる、哀れな小市民の帰宅後の姿だ。

 

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