眠りから覚めた、黄色人種の長(おさ)

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——わたしは今、驚きの発見をした。それは、わたしが食べているもの、そして食べようとしているものが、どれも同じような色をしている・・ということだ。

 

秋という季節は食べ物が豊富で、日々幸せを感じる素敵なシーズンである。しかも、どの食べ物も想像以上に美味いため、毎日「欲」を満たしながら生きることができるのだ。

そんな「旬の食べ物」を頬張るわたしは、テーブルの上がほぼ同系色で溢れていることに気が付いた。華やかというか明るいというか、温かいというか——。

 

 

ポサポサの焼きカボチャを噛みしめながら、わたしは喉の詰まりを押し流そうとミカンの皮を剥いていた。そういえば、カボチャもそうだがサツマイモというのも喉に詰まりやすい。しかも、いずれもわたしの大好物ゆえに、ついつい一口が大きくなってしまうのだ。

おまけに、早く飲み込みたい一心でごくんと嚥下(えんげ)した瞬間、やつらは気道から食道の管いっぱいに広がり(?)、わたしの命を奪おうとする。

そんな時、水を流し込んだところであまり効果はない。むしろ、水分だけがカボチャやサツマイモを通過して、肝心の障害物はその場にとどまるからだ。

 

そのため、わたしは固形物を送り込むことでカボチャやサツマイモを押し込むことにした。・・とはいえ、ややもすれば固形物のせいで喉がギュウギュウ詰めとなり、気道を塞ぐ可能性もあるので一般人にはおススメできない。だが、豊富な水分を含むみかんならば、いい塩梅に役割を果たしてくれると踏んだわたしは、急いでミカンに手を伸ばしたのだ。

それにしてもミカンというのは便利な果物である。ある程度のサイズ感がほしいときは半分に割った状態で口へ放り込めばいいし、逆に小さく楽しみたいときは一房だけつまめばいい。このように、用途に応じてサイズ調整のできるミカンは、カボチャやサツマイモを押し流す際に重宝するわけだ。

 

とその時、円陣を組むかのようにまとまったミカンの周囲を、似たような色のおけさ柿がぐるっと取り囲んでいることに気が付いた。

手前から、カボチャ(オレンジ色)、ミカン(濃い黄色)、おけさ柿(オレンジ色)というように、暖色系の食材がテーブルの半分を埋めていた。

 

夏の暑さもすっかり影を潜め、朝晩の肌寒さが冬の足音を感じさせる、短くも感慨深い季節、秋——。そんな物悲しい雰囲気とは裏腹に、秋の食べ物というのはなんとも温かい色をしているではないか。

 

さらに視線をずらすと、おけさ柿の向こう側には大量のゆで栗が詰められたジップロックが横たわっている。そしてテーブルの端には、太い前腕、いや、細いふくらはぎほどのサイズのサツマイモ(加熱済み)が、ゴロゴロと転がっているのだ。

もう一度、手前から「カボチャ」「ミカン」「おけさ柿」「ゆで栗」「ふかしサツマイモ」というわけで、どれもオレンジ色から濃い黄色をした、美しい暖色系のご馳走が所狭しと敷き詰められているのである。

 

カボチャとおけさ柿、そしてミカンは鮮やかなオレンジ色を放ち、β-カロテンが豊富に含まれていることを物語っている。もちろん、栗とサツマイモを象徴する濃厚な黄色も、β-カロテンの天然色素によるものだ。

そしてこれは、まぎれもなくアノ季節が到来したことを意味する。そう、わたしの手と顔がまっ黄色になる「アノ季節」だ。

 

夏の間は毎日スイカ三昧で、てっきり肌が赤くなるのかと期待していたが、特段変化は見られなかった。

そして季節は廻り、黄色い秋がやってきた。黄色やオレンジ色の食べ物には、天然色素であるβ-カロテンが含まれているため、大量に摂取すると手足の皮膚に沈着し肌が黄色くなる。

健康そのもののわたしが、黄疸だの肝機能障害だのと重病人扱いされる「アノ季節」がやってきたのだ——。

 

そっと見つめた手のひらは、まだ黄色人種の肌色そのものに見えるが、照明の具合によってはもうすでに黄色がかっているようにも見える。

そう、わたしは食欲を満たす代償として本来の肌の色を失い、完全なる黄色人種へと変化する遺伝子を持っているのだ。泣く子も黙る、黄色人種の長(おさ)こそが、このわたしである。

 

 

そんなことを考えながら、わたしは剥き終えたミカンを3房千切ると、喉に詰まった焼きカボチャめがけて押し込んだ。・・あぁ、やはり秋は食欲が暴走する季節なのだ。

 

Illustrated by 希鳳

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