——とうとうこの時期がやってきた。
なんともいえない感慨深さとともに、わたしは手のひらをじっと見つめる。・・そう、わたしの手のひらは黄色い。それは半年前まで毎日、大量のミカンを食べていたせいだ。
最近すこし黄色が落ちてきたような気がしていたところ、今日、とうとうミカンを発見してしまったのだ。せっかく薄橙(うすだいだい)に戻りつつあったこの肌が、また黄色へ逆戻りするのか——。
*
わたしはいつものように、カットスイカ(大)が並べられている棚へと向かった。
(・・よし、今日も買い占めるぞ!)
そう心に誓いながら、不敵な笑みを浮かべて近づいたところ、なんと、そこにカットスイカは存在しなかった。跡形もなく消えていたのだ。
——とうとうスイカの季節が終わったのか。
なんとも言えない寂しさと切なさに、思わず自我を失いそうになるわたし。なぜなら、あれほどエコでジューシーでコスパ最強の果物など、他にはないからだ。さらに悶々とした気持ちは続く。
(毎日の楽しみでもあったカットスイカ(大)と、今年はもう会うことができないのか。来年の春まで、あの深紅の果肉に触れることはできないのか——)
考えただけで鼻の奥がツンとする。あぁ、せめて最後に別れの言葉を伝えたかった。わたしがどれだけ感謝していたか、スイカに直接伝えたかったのだ。
しかしもう、カットスイカ(大)はこの世にいないわけで、拭い去ることのできない後悔だけが渦巻くのであった。そしてカットスイカの後には、「冷やし焼き芋」と「桃(小)の4個セット」が並べられていた。
まるでわたしの好みを熟知している者がいるかのように、大好物である焼き芋と桃をチョイスするとは、この店はなかなかのやり手である。
そこでとりあえず、各々3パックずつを買い物かごへと放り込んだ。
(・・スイカの弔い合戦だ)
こうなったらスイカへの未練を断ち切るべく、焼き芋と桃で心も胃袋も満たすしかない。
いつかこうなることは予想していたが、まさかの突然の別れに混乱するも、現実を受け入れ前に進まなければならない。そのためにも、大量の焼き芋と桃を食べ尽くそうじゃないか——。
そしてレジへ向かおうとした途端、わたしの目に懐かしくも恐ろしい、あの黄色くて丸い物体が飛び込んできた。正確には、緑色と黄色がマーブル模様に入り混じった小さな玉——。そう、極早生(ごくわせ)ミカン「日南一号」だった。
このミカンは、1979年に宮崎県日南市の野田明夫氏が発見した「興津早生」の変わり品種。主に露地栽培で生産されており、日南一号が店頭に並ぶことで秋の訪れを感じるのだそう。
わたしは引き寄せられるように、日南一号のビニール袋を手に取った。小ぶりで硬めの果実が、ゴロゴロと詰められている。
(やむを得ない、食べるしかない・・)
焼き芋と桃を手放すことはできないため、加えて、日南一号の味見をすることにした。見るからに酸っぱそうな外皮の色だが、果たしてお味はいかに。
店を出るとさっそく、わたしは皮を剥きはじめた。非常に薄い外皮だが、細かく千切れることもなく剥きやすい。そして半分に割ったミカンを口の中へと押し込む。
(ん・・酸っぱい)
やはり見た目通りの「若者」である。まだまだ酸っぱさが先行しているが、今シーズン初のミカンとしては合格だろう。ましてや柑橘系の果実なのだから、酸っぱくて当然。ヘンに甘ったるい個体よりも、このくらいパンチの効いた酸味のほうがウエルカムである。
そしてパンっと張りのある内皮と噛み応えは、まさに若さの象徴である。そんなみずみずしい新参者に舌鼓を打ちながら、帰宅する頃には残りわずか2個となっていた。
(あぁ、また手足が黄色くなる季節がやってくるのか・・)
季節の移り変わりとともに、わたしの手足も黄色く色づくのは、もはや風物詩といっても過言ではない。自然の果物を食すことで、肌の色が変色するのだから、むしろ自然現象であり健全な身体反応でもあるからだ。
そして今年の冬も、黄色人種を代表するべくまっ黄色に染まってやろうじゃないか。
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