730日

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ただひたすらに、いや、闇雲に書き続けてきたこのブログ。気づけば昨日で丸ニ年が経過した。

誰かに頼まれるわけでもなく、かといって自ら率先して取り組むわけでもなく、どちらかというと息をするかの如く自然に、当たり前に淡々と投稿してきた。

なぜこんな言い方をするのかというと、そうでもしなければとてもじゃないが続けられないからだ。

 

文章を書くにあたり、そこそこの質を保つコツは二つある。一つは、ネタが面白いことだ。

「今日、カッパに覆われました」

もしもこんな事実があれば、文章が下手でもネタだけでその記事は担保される。よって、なにか面白いネタと出会えればしめたもの。

 

ところが人生そう甘くはない。カッパと出会える人など一握りだし、その確率で私が指名されることもないわけで、となるとカッパに期待することはできない。

さらに、面白いことというのは狙って起きるわけでも、起こせるわけでもない。ちょうどいいタイミングで出会うからこそ面白いわけで、尖ったネタが自然に落ちているということはあまりない。

 

となると、平凡なネタに対する巧妙な文章力に期待するしかない。これがもう一つのコツである。

とはいえ、持って生まれた文才があるわけでもなく、それでいてありきたりなネタを飛躍的に輝かせることなど、そうできることではない。

 

当然ながら奇をてらった表現や、文豪気取りの抽象的で叙述的な書き方などしようものなら、読んでいて顔から火が出ること間違いなし。つまり、身の丈に合った文章でなければ、とんでもない辱めを受けることとなるわけだ。

その結果、私は残念ながら「期待できるほどの文章力は持ち合わせていない」ということに気がついた。

 

誰にか評価されたいわけでも、人気者になりたいわけでもない私は、ただ淡々と毎日記事を投稿するという作業に没頭した。もしもそれ以上の価値を見出そうとすれば、毎日投稿するという目的達成のバランスが崩れるからだ。

生きていればいろんなことが起きる。楽しい日も、苦しい日もある。それでもフラットに淡々と、気持ちとは裏腹の内容であっても書き続けるトレーニングを積んだ。

 

そしていつの日か、どんなに辛く悲しい日であっても、他人を笑わせるコラムが書けるようになった。

 

今日は雨だから出かけるのはやめよう。今日は気分がのらないから明日にしよう――。このように「止める」というのは、わりといつでもできる。

では逆に「続ける」ということは、どんな努力が必要なのだろうか。とにかく根性か?それとも貪欲な探求心か?

 

私が思うに、それはテクニックだ。

 

身体的な問題とは別に、ちょっとした怠慢からくる脱落はテクニックで防げる。どんなテクニックかというと、それこそが「淡々とこなす」に特化することだ。

(予定の時間が近づいてきた、では予定をこなそう)

ただそれだけでいい。予定の詳細や出来栄え、結果などは一切考えてはならない。当たり前だが、放っておけば時間は勝手に過ぎていく。だからこそ、無の状態で淡々と、息を吸って吐いてを繰り返していればいいのだ。

 

ちなみにこれは、簡単そうにみえて案外むずかしい。「何も考えないようにしよう」と思った途端に、「何も考えないようにしよう、ということを考えている」ことになるからだ。揚げ足取りのようだが、事実である。

なお、無になる簡単な方法としては「何かに夢中になる」というのが効果的。夢中になっている間は、無意識に集中しているため、結果的に何も考えていないからだ。

 

では私はこの二年間、毎日コラムを書き続けるという苦行を達成するにあたり、どんなテクニックを身につけたのだろうか。

それは「割り切る」という、一種のあきらめだった。

このくだらないブログを書き上げるのに、発案から投稿まで最短でも3時間はかかる。長い時など21時間かかったこともある。そんなことで一日24時間のスケジュールを乱されたら、たまったもんじゃない。

 

そこで私はこう割り切った。「私の一日は21時間だ」と。

毎日3時間をブログ執筆に充てると決めれば、残り21時間が私の一日となる。つまり3時間をハナから捨てるのだ。

そう割り切ってからは気持ちが楽になった。21時間の一日を謳歌したあと、地獄でも天国でもない虚無の空間で二千字のコラムを書く。ただそれだけの毎日を繰り返した。

 

だが運悪く、3時間経っても何も思い浮かばなかった場合には、それはもう「本当にあきらめる」しかない。ところが、虚無空間における無欲で無気力な状態というのは、ぼんやりとしているからこそ適当なことが浮かんでくるのだ。

そんな毎日を繰り返すうちに、いつしか二年が経過していた。

 

二酸化炭素を吐き出すかのように、私はこれからも、何の価値も魅力もない記事を配信し続けるだろう。有益な情報など流すはずもない。なぜなら、虚無空間で書き上げる霞のような原稿だからだ。

しかし人間は、血液中の二酸化炭素濃度が減少すると、呼吸困難や頭痛、吐き気、手足のしびれなどによりパニックになる。そう、過呼吸というやつだ。

 

よって、たまには私のブログに目を通してほしい。過呼吸を防止するためにも。

 

とりあえず、二年間ありがとう。

 

サムネイル by 希鳳

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