超脆弱な精神力

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どれほどわたしに強靭な精神があったとしても、さすがにこのような状況に打ち勝つ自信はない。

仮に、これが自分自身に関することだけならば、強い気持ちを持って果敢に立ち向かうことができる。だがそこへ他人が関与すると、それはもはやわたし一人の問題ではなくなるわけで、相手の気持ちや思い入れなどを想像すると、わたしごときのつまらぬ覚悟など、鼻くそ程度のちっぽけなものに感じるのである。

(今度こそ、今度こそ目的を達成するぞ・・・)

そう覚悟を決めてから、何度目の夜を迎えただろうか。わたしは単なる嘘つきに成り下がったわけで、もう誰も、わたしの言葉に耳を貸してはくれないだろう。

 

 

「お届けものでーす」

ヤマトの兄ちゃんから段ボール箱を手渡される。それは開けるまでもなく、みかんであることがわかった。

友人から送られてきた「愛媛県の川上みかん」は、第35回農林水産祭で天皇杯を受賞した逸品。それがいきなり、我が家に届いたのである。

 

(こんなにも美味そうなみかんを・・まったく、さらに黄色くさせるつもりか)

今となっては"冬の風物詩"といえる、わたしが黄色くなる季節を迎えたわけで、それを楽しむべく友人は、大量のみかんを与えてくれたのだろう。

 

この「川上みかん」の生まれ故郷、愛媛県川上地区には、"三つの太陽"があるのだそう。一つ目は、南国特有の太陽からの直射熱。二つ目は、宇和海からの反射熱。そして三つ目は、太陽や海からの反射熱で温められた、石垣の輻射熱。

これらの陽光を贅沢に浴びて育った川上みかんは、潮風に乗って運ばれてきた塩分やミネラルも豊富に含んでおり、噛むたびに広がる甘みとコクそしてジューシーさを存分に満喫できるのである。

 

スーパーの店頭で見かけるみかんよりも、一回り大きくて立派な個体を握りしめてみる。ズッシリとした重みが、西宇和のプライドを象徴しているようだ。

 

わたしがここ最近食べていたみかんは、どれも小ぶりでまん丸なものだった。なんせそれが一番安くて大量に手に入るからだ。そのため、皮が剥きにくかったり味が薄かったりと、小さなみかんならではの特徴に慣れてしまい、みかんへの興味や関心が薄れていた。

ところが川上みかんときたら、皮は剥きやすいし味に深みがあるし、みかんの中にも「高級品」というランクがあることを思い知らされた。甘いとか酸っぱいとか、そういった言葉では表しきれない味の深みが、このみかんからは感じるのである。

 

それはまるで、ウォーカーのショートブレッドフィンガーを味わっているかのような、立体的な旨味とでもいおうか。

(マズいな・・手が止まらない)

とはいえ、みかんはそのほとんどが水分でできている。現在、暴飲暴食の止まらないわたしではあるが、さすがに水分だけならばさほど影響はないだろう。

 

「お届けものでーす」

川上みかんに夢中になっていると、別の配達員が小包を届けにきた。またもや友人からで、中身は食べ物の様子。

さっそく包装紙を破り捨てると、中から手作りと思われる立派なパウンドケーキが現れた。

 

数日前、友人からもらったシュトーレンを一気食いしたわたしは、「もう絶対に、ケーキを口にするのはやめよう」と誓った。少なくとも今年のうちは、いや、ここ数日くらいは——。

そんな硬い意志を打ち砕くかのように、シュトーレンばりに重たいパウンドケーキが送られてきたのである。わたしはいったい、どうすればいいんだ・・・。

 

とりあえず、我が家には業務用冷凍庫という立派な保管庫があるため、味見をしたらそこへ放り込んでおけばいい。そして来年になったら少しずつ食べれば——。

そう覚悟を決めたわたしは、さっそくパウンドケーキの包みを千切ると丸ごと齧りついた。

(おぉ!緻密でしっかりとした噛みごたえとバターのしっとり感が、得も言われぬ美味さを引き立てている!!)

パウンドケーキというのは、口の中の唾液を持っていかれる感じがあるので、大量に食べるにはコーヒーが必要となる。そして今はコーヒーが手元にないので、口がパサついてきたらパウンドケーキを止めればいい。

・・そんな軽い考えで齧りついたわけだが、予想以上のしっとり感とフィナンシェのような舌ざわり・・というかくちどけに、これが「味見」であることを忘れてしまったのだ。

 

そして案の定、「あと一口だけ、いや、もうあと一口・・」と、一口を何十回も繰り返した結果、パウンドケーキの姿はこの世から消えた。おまけに、食べ終えると同時にぼちぼち喉が渇いてきたではないか。

(・・み、みかんを食べるか)

このようにして「負の連鎖」は続くのだろう。届いたばかりの段ボールのみかんも、残り2つとなってしまったわけで、わたしが痩せるのは来年へ持ち越しとなりそうだ。

 

 

とにかく来年こそ、暴飲暴食を抑えられるだけの強い精神力を身につけよう。目の前に美味そうな食べ物があったとしても、たとえそれが友人からのギフトであったとしても、それを我慢するだけの強靭な精神力を、なんとか鍛え上げよう。

(そういえば明日も、餌付けされる気配を感じるのだが・・・)

そろそろまともな人間に戻らなければ。このままでは、こんな食生活を続けるようでは、人間というより"動物"である。

 

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