素材の味わい方

Pocket

 

私はパンが好きだ。しかも耳までしっとりとした生食パンが大好きだ。

食パンといえば通常、一つのロットが2斤という単位で焼かれている。長さ24センチ、小脇に抱えるにはちょうどいいこの大きさの食パンを、少しずつむしり取ってはモグモグと食べるのがワタシ流。

近所のパン屋へ行くと、

「何枚に切る?」

と、毎回不要な質問を投げかけられるのだが、なぜスライスしてしまうのか不思議でしょうがない。家族のいる家ならば、やはり何枚かにスライスした方が喧嘩にならずに済むのだろうか。

 

しかし食べ物を最大限に味わう秘訣は、やはり素材そのものを素手で掴んで食べるに限る。無論、生食パンは焼きあがった商品であり、素材である強力粉だの砂糖だのドライイーストだのをそのまま食べるわけではない。

ただ、食パンにバターやジャムを塗ったり、ハムやレタスを挟んだりと、他のものでパン自体に手を加えることなく食べることで、生食パン本来の美味さを五感で感じることができるのだ。

 

ちなみに白米も同じだ。海苔やキムチ、生卵と一緒に食べる飯も最高だが、あの真っ白いツヤツヤの米粒を、じっくりと噛みしめながら味わうことで、白米の価値は最大となる。

そうなると、米そのもののポテンシャルが重要になってくるわけだ。

 

生食パンという名のパンは、そのほとんどが高級食パンと呼ばれる部類に属する。つまり、値段も安くなければどれも大概は美味い。そしてその先の選定は個人の好みによって変わる。

私のようにしっとり系が好きな者もいれば、ふんわり系を選ぶ者もいる。ほのかな甘み系やジューシーバター系に目がない者、しっかりとした噛み応えの食パンを求める者もいるだろう。

そして同じ食パンといえども、店によって味は異なる。むしろまったく違うと言っていいほど、シンプルだからこそ顕著な違いが出るのである。

 

食パンマイスターである私は、パンを指でちぎりながらモグモグ食べることで、食パンの能力を最大限に引き出している。

単刀直入に言おう、食材は断面が重要である。

包丁の切れ味が良ければ良いほど、野菜や果物の細胞をつぶすことなく切断できるわけで、鮮度もさることながら歯ごたえや味付けに大きな影響を及ぼすというのは有名な話。

これは食パンも同じだ。焼きたてのふっくらしっとりとした肌触りは、指でちぎらなければ再現できない。どんなに切れ味の良いスライサーでパンを切断したとしても、あんなまっ平らにされてはパンも泣いている。

 

ここはひとつ血の通った人間の指で、パンの繊維に沿って自由にゆるやかに剥ぎとってやろうではないか。パンのほうだって、人工的な器具で切られたり焼かれたりするよりも、人肌の温もりと若干の汗による湿り気を帯びたその指で、不格好なまでにそっとちぎり取ってもらうことがどれほど幸せか。

 

こうして、食パンの内層部分である「クラム」をほじくりながら食べ進んだ私は、あるとき急に牛乳を欲した。

パンと牛乳は小学校時代からの相思相愛メニューである。口のなかに適度な大きさの食パンを含むと、すぐさま牛乳を一口流し込む。そしてパンに牛乳をしみ込ませるように二、三回咀嚼をしたら、一気に胃袋へと嚥下する。

こんな貧乏人の食事のような組み合わせにもかかわらず、最高の贅沢と癖になる余韻を与えてくれるから不思議である。

 

トリュフやフォアグラがなんぼのもんじゃ。安っぽい食パンと適当な牛乳があれば、それだけで立派なご馳走に早変わりすることを、おまえらは知らないだけだ。

 

 

話は変わるが、先日ラムしゃぶなるものを食べた。読んで字のごとく、ラム肉のしゃぶしゃぶである。ラムとは、生後一年未満の仔羊で永久歯の生えていない個体を指す。そして生後二年以上で永久歯が二本以上生えた羊を、マトンと呼ぶ。

羊の肉は独特のくさみがあり、人によって好き嫌いが分かれる。かくいう私も、羊の肉を食べた経験はごくわずか。さらに、ずば抜けて美味いとか不味いとかいう記憶がないことから、さほど好みではないのだと思っていた。

 

ところが、その店のラム肉は美味かった。しゃぶしゃぶで食べるため、紙っペラのような薄いラム肉が山積みになってテーブルに置かれている。しかも、まるでヨックモックのシガールを想起させるフォルム。

ではなぜシガールのように丸まったまま、つぶれたり崩れたりしないのかというと、それは半分凍っているからだ。ちなみにこれは嫌味ではない、逆に「ナイスアイディア!」と膝を打ったほどである。

その理由は、クルクルと丸まったラムしゃぶならば箸でつまみやすいし、熱湯にくぐらせた時点で冷凍も何も関係なくなるわけで、それならば下手にくっ付いて破れるようなことのない、半解凍状態のシガールがベストといえるからだ。

 

そしてもう一つ感心したことがある。それは紙っペラほどの薄さにスライスしたため、羊特有のくさみが消えていたことだ。透き通るほどのペラペラな肉は、微妙にラム肉の風味がする程度で噛み応えもジューシーさも感じない。

だからこそ、誰もが美味しく食べられるのだ。

周りを見ると若者たちが、次から次へとお代わりをしている。この店はラムしゃぶ食べ放題のため、どんどんラム肉を注文しなければもったいない。

 

(なるほど、ラム肉はぺらっぺらの方が満遍なく美味いのだ)

 

以下、教訓。

生食パンは無造作に手でちぎるべし。

ラムしゃぶはティッシュほどの薄さにスライスすべし。

 

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です