おれは仕事のできる、エリートビジネスパーソンだ。
大学受験に失敗し予備校生活を2年過ごした後、調理師専門学校へ入学した。なぜなら、日本の大学など卒業したところでなんの技術も知識も資格も得られない。サークルだのコンパだの反吐が出る。
だったら専門学校のほうがよっぽど価値のある「学び舎」といえるからだ。
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飲食店を転々とした後、親のコネで競輪予想専門紙「白競(シロケイ)」に就職した。その年の採用はおれ一人だったので、期待の大型新人といったところだ。
おれを採用した後に誰も入社してこないところを見ると、いかにおれが仕事ができるかがわかる。
印刷部に配属されたおれは、日々、新聞輪転機の汚れを拭く仕事を任された。
輪転機に付いたインキを布でこすって落とすという地味な作業だが、汚れを落とさなければ印刷はうまくいかない。縁の下の力持ち的な存在で、毎日インキまみれになりながらも会社を支えた。
それから数年が経ち、輪転機が新しくなった。これまでのようにインキを拭く作業は不要となり、おれはとうとう編集部へ栄転となった。
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新聞社にとって編集部は「花形部署」。
この会社もいよいよ、おれの力を借りなければならない時が来たということだ。
そして高校時代から競輪漬けのおれにとって、この仕事は「天職」といえる。今まで投資してきた数百万円にのぼる勉強代(ハズレ車券)の成果をみせてやろうじゃないか。
しかし異動後すぐにバンバン当てる記者が現れたとなると、先輩記者らの面目が立たない。
そこでまずは、編集部の机を拭く仕事から始まった。なにせ輪転機を拭き続けて3年、あれに比べれば机を拭くことなど朝飯前だ。ベテラン拭き屋のこのおれが、ピカピカに磨き上げてやろう。
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そして2年が過ぎた。
おれはいよいよ、机拭きからデスクワークへと昇進することとなった。
「全国のオケラども、喜べ!」
競輪場で屯(たむろ)するフヌケに向かって、心の中でこう叫んだ。おれが登場するからには、おまえらの未来は明るい。おれの予想に乗って車券を買えばいいんだからな。
しかし予想はおあずけとなる。注目の万車券記者デビューを華々しく飾るのは、今ではないということだろう。
おれは校閲の仕事を任された。
紙面に掲載される競輪選手の名前や班級、脚質、登録地、過去の戦績などをチェックする仕事だ。これらの情報はすなわち選手の最新プロフィールだから、これを間違うことは「履歴詐称」となり、重大な罪だ。
机拭きという肉体労働から頭脳プレーへと移行したおれは、編集部の隅っこを陣取り黙々とチェックを続けた。
ちなみに今まで、一度たりとも誤植を発見したことはない。なぜなら「公益財団法人JKA」が発表しているデータをそのまま使っているからだ。
間違いがあれば向こうの責任。つまり、おれの仕事は最後の砦、あるはずのない誤植が「ない」ことを確認する重要なポジションといえる。
集中を切らせたくないおれは、過去の新聞を使ってバリケードを作った。低能なザコどもに話しかけられたくないからだ。
堆(うずたか)く積まれた新聞の数は数千部におよぶ。トイレに行くとき思わず崩してしまうこともあるが、それ以外は独立した空間が保てて快適だ。
外界と遮断されるため集中力も高まり、つい退社するのを忘れて朝を迎えることすらある。これぞまさに「職業病」ってやつだ。
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そんなある日、編集部長がおれのところへやって来た。
「この新聞の山を片付けてくれ」
こいつは何を言ってるんだ?おまえら会社側の人間は、おれのような優秀な社員が仕事をしやすい環境を提供するのが仕事だろうが。それをなぜ、ぶち壊すようなマネをする。
「ここは非常口の前だから、いざというときにドアが開かないだろう」
はぁ?誰に向かって口きいてんだこのダボが。非常口なんざ非常時にならなきゃ使わないんだから、普段から非常事態にしてどうすんだよ。これだから頭でっかちは困るぜ。
しかし部長の背後から2人の防護服を着た作業員が現れ、おれのバリケードを壊し始めた。
「ヤメロ!人のテリトリー荒らすんじゃねぇ!」
運動は苦手だがここぞとばかりにおれは暴れまくった。防護服と部長は面食らって後ずさりする。もう一息だ。
「まずはおれの許可を取ってからにしろ!でないと火つけるぞ!」
常備しているチャッカマンを取り出すと、奴らに向けてカチッと火を見せてやった。フロアにいる誰もが慌てふためき、おれに何かを訴えかける。
ーーなに、おれも事を荒立てたいわけじゃない。わかればいいんだよ、わかれば。
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その翌日から、コロナのせいでおれは自宅待機を言い渡された。
家にいてもすることはない、おれの作った「白競」でも拝みに競輪場へ行くとするか。
ーーお、ちょうど宇都宮競輪が開催されてるな。
おれが現場記者としてデビューする日も近い。一足先に現場の空気に触れておくのも悪くない。・・・ったく世話のやける会社だぜ。
おれのような有能な人間を使いこなすには、会社の度量も問われる。まぁ、凡人ぞろいの弱小企業だから無理は承知だが。
手あたり次第小銭をかき集めると、おれは家を出た。
(完)
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