魔界の入り口  URABE/著

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東京は摩訶不思議な都市だ。なかでも新宿は魔界である。

大学入学と同時に静岡から上京してきた俺は、都内の外国語スクールに就職して7年が過ぎる。人付き合いが得意なほうではないため、飲みに誘われても断り続けたことから、いつしか声もかからなくなった。もちろん彼女もいない。

これといって趣味もないわけで、暇があればYouTubeやスマホゲームで時間をつぶしている。しかしいい加減に体を動かさないと、目も当てられない中年まっしぐらが避けられないため、今年に入ってからスポーツジムに入会した。

あまりに近所も恥ずかしいし、かといって遠すぎてもサボるだろうから、会社帰りに寄りやすく自宅までも遠くない、新宿にあるジムを選んだ。

 

新宿駅の西口を出ると、ユニクロを横目にまっすぐ進んで青梅街道へぶつかる。信号の状況によっては先に小滝橋通りを渡ってから青梅街道を渡ることになるが、不思議と信号待ちの時間が気にならない交差点がある。

そこは「新宿大ガード西交差点」という名前で、信号を渡った目の前に「ウエルシア」がある。関東を中心に、調剤薬局併設型のドラッグストアとしてチェーン展開するウエルシアホールディングスは、店舗の広さと品ぞろえの良さがウリ。さらにここ「ウエルシアO-GUARD新宿店」は24時間営業のため、始発待ち難民にとっても憩いの場となる。

 

ところが、この店こそが魔界の入り口だった。

 

太陽が降り注ぐ昼間のウエルシアO-GUARD新宿店は、ごく普通の大型ドラッグストア。多くの人々が出入りし、医薬品だけでなく食料や飲み物、化粧品や日用品までもが調達できる。交差点の角地に建つビルは全面ガラス張り、そんな解放感あふれるウエルシアO-GUARD新宿店は、夜になると別の顔をのぞかせる。

 

日が長くなったとはいえ、さすがに19時を過ぎると空の明るさは消え暗闇が広がる。さらに今夜は雨が降っている。信号待ちをする間も、クロックスの隙間から差し込む雨が靴下を濡らしていく。

(青になったらジムまでダッシュしよう)

ダラダラ歩いて不快な思いを続けるよりも、さっさとジムへ着いてシャワーでも浴びたほうがスッキリする。とにかく、青になったら走るということを固く誓った。

 

対向車の信号が赤になった数秒後、目の前の信号が青に変わる。それと同時に足を踏み出すと、約束どおり俺は勢いよく走り出した。横断歩道の真ん中あたりで、正面から押し寄せる人混みとすれ違う。傘同士がぶつかり合い肩が濡れる。俺は自分の傘を高く掲げ、他人の邪魔にならぬよう体を左右に回転させながら小走りを続けた。

(まるで魔物の群れに飲みこまれそうな勢いだ)

そもそも新宿は、ただでさえ人が多い。ほぼ全員が地方出身者の集まりだろうが、いつだって人間であふれかえっている。ヌラヌラと輝く目元の怪しい女や、全身黒づくめの死神のような男、オタク丸出しのリュックを背負った小太りの中年に、どぎつい化粧と曲がったカツラの老婆まで、「なぜおまえらが、こんな大都会を歩いているんだ?」と問いただしたくなるような面々が、こんな雨の中をいそいそとこちらへ迫ってくる。

 

びしょ濡れのクロックスで地面を蹴ると、俺は魔物たちをかき分けるようにジムへと急いだ。とにかく無心で走った。早く安全な場所へ逃げ込みたい一心で。

(あぁ、助かった!)

真っ白な照明と暖かな雰囲気が俺を迎え入れる。周囲を見渡すも魔物たちの姿は見えない。とにかく俺はホッとした。大きく開かれた聖母の胸に飛び込んだような安心感がある。

しかし、まるで「おいで」と手招きされたかのような、強く引き寄せるようなあの力はいったい、なんだったんだろう――。

 

狐につままれた感覚から目を覚まそうと、首を強く横に振りながら歩を進めかけたとき、俺はあることに気がついた。

(ここはジムじゃない。ウエルシアだ・・・)

そう、俺が全力で駆け込んだのは、ジムではなくウエルシアO-GUARD新宿店だったのだ。なんの用事もないのだが、まるで俺を招き入れるかのようなウエルシアO-GUARD新宿店の入り口に、吸い寄せられるように踏み入ってしまったのだ。

 

そしてこれは初めてのことではない。今までも何度か、いや、何十回も同じ経験をしている。ばつが悪い俺は毎回、水やテーピングを無意味に購入しては店を後にする。

(またやっちまった。この店は魔界の入り口なんじゃないか?)

ドラッグストアに寄る必要などない。それなのに無心で先を急ぐときに限って、ウエルシアは大きな口を開けて誘い込んでくる。そして不可抗力の俺は、自然に、もとい、必然的に魔界の入り口へと踏み込んでしまうのだ。

やはり新宿には、魔界の入り口が存在するのである。

 

(了)

 

サムネイル by 希鳳

 

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