よく「人を見る目がある」という言い方をするが、あれはほとんどの場合、何らかのヒントがある。その人のちょっとした仕草や言動がヒントとなり、そこからの応用で「こうなんじゃないか」となるからだ。
だから正確には「観察力と応用力に優れている」と言うべき。
だが僕の先輩は違う。僕からヒントを得たのではなく、僕という人間の別の一面を引き出すために、とんでもないギフトを送り付けてきたんだ。
あの人は昔からつかみどころのない変わった人だった。僕はどちらかというと可愛がってもらったから「いい人」という表現にしておくが、周囲の評価は満場一致で「変人」だったからなぁ。
そんな先輩からある日、僕の独立祝いと称して「ある物」が送られてきた。
アレが到着した時、配達員の兄ちゃんがハァハァ言いながらドアモニターに現れたから、最初は何事かと思ったよ。それからしばらくしてオフィスのインターホンが鳴り、ドアを開けると汗だくの兄ちゃんが中腰になって立っていた。
「お、お届け物です。ちょっと重いんで気をつけてください!」
(炊飯器にしてはデカいし、かといって電子レンジにしては小さい。一体なにが入ってるんだ?)
配達員の兄ちゃんから段ボール箱を渡された瞬間、見た目以上のズッシリさに驚く。15キロくらいありそうだ。思わず腰が砕けそうになるがなんとか持ち直す。
――この大きさでこの重さ、本当になんだか想像がつかない。まさかボウリングのボール?!
えっちらおっちらと部屋まで運ぶと、早速開封してみた。
(なんだこのバカデカい釣り鐘は!!)
先輩は本当に変わってる。なんで僕の独立祝いに南部鉄器っぽい巨大な釣り鐘を贈ってくれたんだ。これを見ては煩悩を除け・・・ってか?オフィスは狭いし、こんな重たい鉄塊は邪魔でしかない。かといって移動させるにも俺には重たすぎる。
こうして、この使途不明な釣り鐘(?)はしばらくの間、オフィスのドアストッパーとして存在感を示すこととなった。
*
2か月後――。
先輩からメッセージが届いた。
「おぅ、どんな感じ?ちゃんと振ってるか?」
なんの話かと思えば、あの南部鉄器のことらしい。いまさら嘘をつくのも白々しいので、正直に現状を伝える。
「はぁ?アホか!あれはドアストッパーなんかじゃねぇよ、ケトルベルだよ」
(けとるべる??言われてみればたしかにケトルのような形をしているが)
ケトルベル――球体に取っ手がついた形状が「やかん(英:kettlebell)」に似ていることから、その名がついた筋トレ器具。ダンベルの一種だが使い方には大きな違いがあり、トレーニング後の体型や筋力のつき方、運動能力も独特。ロシアやヨーロッパでは軍や特殊部隊でも使われるほか、アメリカではプロスポーツ選手から一般女性のエクササイズにまで普及している。故ブルース・リーが愛用していたことで有名。(参考:BODYMAKER)
僕は根っからの運動音痴。小学校の頃から運動部の奴らを敵視してきたし、本とパソコンがあれば人生バラ色だと思っている。それをなぜ今さら、筋トレなんて不毛な行為を強制されなければならないんだ?
とはいえこのトンチンカンな感じ、先輩っぽいといえばそんな感じか。
「オマエさ、このYouTube見てとりあえず振ってみろよ」
そういって動画のリンクが送られてきた。開業2か月、まだそんな余裕などない。だがギフトをもらった立場として、贈り主の気持ちを無下にはできない――。
僕は仕方なくYouTubeを開くと、インストラクターに合わせてケトルベルを振ってみた。
(なんだ、重いわりには反動つければ意外とイケるな)
見よう見まねでスイングする。想像していた筋トレとは違い、なんていうか体全体でケトルベルを振り上げる感じ。腕が筋肉痛になるとかそういうことはなさそうだ。
その日から僕は、渋々、ケトルベルを振ることを日課とした。なぜなら先輩が、
「来月、様子見に行くからなー」
と脅すからだ。あの人のことだ、もし僕がやってないと知ればなにをしでかすか分かったもんじゃない。とりあえず最初だけ、今までの恩返しも込めて言われたとおりにしてやろう。
ケトルベルを始めてから、筋肉がついたとか腹筋が割れたとかそういうことは一切ないが、ちょっとした変化はあった。それは睡眠だ。僕は寝つきが悪いせいで睡眠不足に陥り、医者から睡眠導入剤を処方されていた。
それが最近、なぜかすんなり入眠できるようになったのだ。ほかにも長時間デスクワークをこなしても、肩や腰が疲れなくなった。椅子を変えたわけでも姿勢を良くしたわけでもないのに、不思議だ。
あとこれも全く関係ないが、取引先の社長から褒められることが増えた。
「なんかいいことでもあったの?顔色いいじゃん」
日々の多忙っぷりは変わらないが、なぜか「健康そう」「明るくなった」「若返った」などと言われるようになった。人生のモテ期でも到来したのか?
ケトルベルを始めて3週間が経過した。そろそろ同じ動きに飽きたので別のやり方を検索していると、「ケトルベルスイングは反動を使うものではない」ということを知る。背中や臀部の筋肉を使って行うものらしい。
(マズイ、やり直しだ!)
いくつかの動画を参考にして、僕は一からケトルベルスイングをやり直した。たしかに意識する部位が変わるだけで、体の感じ方や使い方がまるで違ってくる。あぁ、この3週間を無駄にしてしまった!
*
「おーす。ちゃんと振ってるかぁ?」
先輩がやって来た。手土産にプロテインとシェイカーをぶら下げて。
「マジで?!オマエ、持ってたの?!」
先日ネットで購入した「マイ・シェイカー」を見ながら、ひっくり返りそうなほど驚く先輩。そりゃそうだろう。もやしっ子で紫外線恐怖症、「弱者の象徴」のような僕がプロテインを飲むなんて、想像できるはずもない。
「ちょっと嫌がらせしてやろうと思ったのに、まぁいいや。これからもしっかり振れよぉ!」
そう言いながら勝手に冷蔵庫を開けると、ビールをグビグビ流し込む先輩。
――いや、分かってる。あなたは僕を変えさせるために「嫌がらせ」と称して「ヒント」をプレゼントしてくれたんだ。いつだってそう、あなたは口では言わずに態度で示す人だった。今回だってそうに決まってる。
自ら手を出すことなど一生なかったであろうケトルベルの世界。それが僕自身を大きく変えてくれるだなんて、先輩がいなければあり得ないことだった。
「いざという時に助けてくれる人」っていうのは、困ってから助けてくれる人を指すんじゃない。僕が困らないように、道しるべを与えてくれる人を指すんだ。
僕もいつかこの人みたいになれるよう、これからもケトルベルを振り続けよう――。
*
(マジか、しまった――)
オレは痛恨のミスを犯した。後輩の独立祝いに、なにか思い出に残る物を贈ってやろうと考えたのだ。
金も地位も名誉も手にしたアイツが、今さらほしいものなどない。ならばあえて「要らないもの」を贈ってやろう。どんな顔するか楽しみだぜ。
そこで「もっとも不要、かつ、処分に手間のかかるもの」を選んでやった。それがケトルベルだ。運動嫌いのアイツが筋トレなんかするはずがない。しかも16キロのケトルベルはそう簡単に捨てることもできない。なおかつ不法投棄しないよう、アイツの会社名まで刻んでやったんだ。
事務所の片隅にデーンと居座るケトルベルを、忌々しく眺めるアイツの顔を想像するだけで片腹痛いわ!
――これこそ完璧な計画だとほくそ笑んだ。これでアイツに勝てると思ったんだ。それがなぜこんなことに…。
独立開業からわずか3か月。後輩の会社はすでに10億円の利益を叩きだしていた。さらに久しぶりに会ったヤツは心なしか男らしく見えたし、満ち溢れる自信というかオーラまで感じた。かつては「卑屈」や「陰険」という単語が似合う、頭がいいだけの嫌われ者だった。それが今じゃ完全なる勝ち組に――。
クソッ、オレはなんという失態を演じてしまったのだ!!!
(了)
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