一線上のURABE

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先日、わたしが書いた「慢性遅刻症候群に悩む女性の話」を読んだ友人から連絡があった。

「あれってさ、結局じぶんの遅刻を正当化するために書いたよな?」

もちろんそんなはずはない。ADHDに悩む架空の女性を主人公にした、何の意図もない超短編小説である。

「おまえの遅刻は、あざとすぎるから」

その言葉にハッとさせられた。

 

わたしの遅刻癖が病気からくるものならば、どんな時でも必ず遅刻するはず。とはいえ、ほぼすべての予定に遅刻しているわけだが、では飛行機や新幹線はどうか。未だかつて乗り遅れたことはない。

厳密には、アメリカ国内のトランジットで乗り遅れたことは何度かあるが、あんなものは2時間も待てば次の便が来るわけで、大した問題ではない。つまりわたしが乗り遅れるのは、山手線や丸の内線など数分待てば次が来るような、便利な乗り物ばかりなのだ。

 

受験に関してもそうだ。大学受験も社労士試験も、さらには採用面接試験までことごとく遅刻している。遅刻しなかった試験もあるが、それこそ数えるほど。だがここで重要なポイントがある。それは、

「何分以上の遅刻は認めない」

という最終通告だけは守っていることだ。ほとんどの試験は、開始から20分がデッドラインとなる。そしてわたしはデッドラインギリギリで滑り込むため、結果的には

「間に合った!」

となるのだ。たしかに遅刻はしているが、公式に明示されたバッファを利用して最低時間内で受験する、という試練を己に与えているだけでルール範囲内。

 

思い返せば、遅刻のほとんどが「計画的」といわれても仕方のない遅刻である。誤解しないでもらいたいが、わざと遅刻をしているわけではない。遅刻はするまい、と強く心に決めているが、なぜかいつもちょっとだけ遅刻をしてしまうのだ。

そしてその遅刻が、たとえばミーティングならばファシリテーターの挨拶が終わった頃だったり、食事会ならば最初の一品が出てくる頃だったりと、たしかに「わざと」遅刻したとしか思えないような、利己的なタイミングなのだ。

――繰り返しになるが、わざと遅刻をしているわけではない。

 

友人が言う。

「オレもそうだけど、どうでもいいのは結構遅れるのに、ガチなのはちゃんとやるわけで、普通の遅刻をしないようにするコツを教えてもらいたいよな」

まさにその通りだ。優先順位の問題といわれればそこまでだが、ちょっとした遅刻すらも防げる対策があるなら、是非ともご教授願いたい。よくある対策は、

・前日から準備を済ませる

・持ち物を定位置に置く

・5分早く家を出る

・準備時間を多く見積もる

・ToDoリストをつくる

などが有名だが、仮に前日から準備を整えたらどうなるか。そう、その分睡眠時間が増えるだけだ。または仕事やゲームに時間を費やし、結果としてなんの対策もとらなかった場合と同じ状況になる。

 

「結局、どこかでデッドラインを意識してるってことだよな」

 

認めたくないが、そういうことだろう。意図的に遅刻しているわけではないが、深層心理あるいは無意識のうちに、決して踏み外してはいけないデッドラインを認識しており、そこだけでは何が何でも守ろうという本能が働くのだろう。

無論、デッドラインよりも手前の時間を舐めているわけではない、そうではないのだが、どうしても甘えが先行してしまうというか――。

 

それを聞いた優秀な友人が一言、

「ルーズなだけだろ」

なるほど、その一言が最もしっくりくる。そうだ、わたしは時間にルーズなのだ。日本語に訳すと「だらしない、ずぼら」なのだ。

 

(・・・悪くない)

 

「だらしない」は受け入れがたい言葉だが、「ずぼら」はそこまで悪くない。言葉の意味は最低だが、「ずぼら」という響きには人間味があり、本能の赴くままに自由でのびのびと生きる姿が浮かぶ。どこか動物的な、そして野生的な人間本来のニオイさえ感じられる。

 

というわけで、わたしは「ずぼら」ということで決着した。

 

サムネイル by 希鳳

 

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