「本当ゴメン!かなり遅刻する(泣)」
11時の待ち合わせのところ、10時58分に友人からメッセージが届く。彼女が遅刻しない前提だと、逆にわたしが1分ほど遅刻する状況。なので正直、わたしの方が早く到着できることにホッとする。
「全然いいよ、ゆっくり来て!」
そう返信すると、早速スタバに入った。
*
わたしは好き嫌いが激しいため、会いたい人と会いたくない人とがハッキリしている。決して褒められたものではないが、限られた時間の有効活用と割り切ると、どうしても線引きをしてしまうのだ。
極端な持論だが「他人のために時間を使うということは、自分の時間を殺すことを意味する」と考えている。つまり強引に時間を奪われるのか、自ら時間を差し出すのかによって、こちらの捉え方に大きな差が生まれる。
そしてわざわざ時間を費やして他人と会うならば、最高の時間にしたいと願うのは当然のこと。たとえ嫌いな相手との不毛な時間でも同じだ。拷問に近い苦痛に耐えつつ、その中では最高の時を過ごそうと努力する。言うなれば「最悪の中での最高」といったところか。
しかし本日は仲の良い友人と会うわけで、こちらも久々の再開を楽しみにしていた。ところが友人の派手な二度寝のおかげで、しばし時間をつぶさなければならない。
この場合、普通に考えたらわたしは怒るだろう。人一倍、時間を無駄にすることにナーバスな人間が、約束を反故にされたのだから怒るに決まっている。相手が仲の良い友人とはいえ、内心多少のイライラは生じるだろう――。
と思いきや、約束の時間に遅れたとしてもわたしは全く怒らない。怒らないどころか、ラッキー!とばかりに小躍りする。
なぜなら、やるべきことが山ほどあるからだ。
待ちぼうけをくらいスマホをいじりながら時間をつぶすだけならば、それは苦痛だしイライラするだろう。しかし急に時間的余裕ができたのならば、仕事もしたいし執筆もしたい。なにより「考える時間」を与えられたわけで、これはラッキーとしか言いようがない。
職業や職種によって「できる・できない」が異なるため、誰もがそう上手くいくわけではない。だが少なくともわたしの職業環境ならば、時間や場所を問わず仕事が進められるわけで、一人の時間を与えられることほどありがたいことはない。
そして目の前に山積する事務作業もあれば、ゼロイチで作り出さなければならない創造的作業もあるわけで、パソコンが手元になかったとしても頭さえあれば考えることができる。
待ちぼうけの10分をフルに使って考えれば、ゼロが0.5、はたまたイチになることすらあるわけだ。こんなラッキーなことを、喜ばずにいられようか。
*
こうして友人を待つ間、わたしはクリエイティブな時間を過ごそうとスマホを覗いてアイデアを探す。
(イマドキの炊飯器はやたらと高いな)
(柿を焼いて食べると美味いのか)
(キルフェボンの新作でカボチャのタルトが出たのか)
ネット上には流行りの家電製品や、季節的な食べ物の話題があふれている。とくに食べ物の話はこちらも興味津々なので、アレコレ想像を膨らませるうちに腹の虫がグゥグゥ鳴きだした。
(キルフェボンは高いけど、柿くらいなら買って試してみようかな…)
「お待たせぇ、ほんとごめんね!」
気がつくと目の前に友人が立っている。彼女を待つ30分の間、わたしはひたすら食べ物のサイトを追い、味を想像しながら腹を空かせていたようだ。
――いいんだ、これは無駄な時間ではない。情報収集のために必要不可欠な時間だったのだ。非常にクリエイティブな時間を過ごせたに違いない。
サムネイル by 希鳳
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