私の名前はしおり。余命いくばくもない体で、残された日々をそれなりに過ごしているわ。今日の早朝、あまりの疼痛で目が覚めたの。関節をもぎ取られたような激しい痛みと、霊にでも憑りつかれたんじゃないかという不快な重量感に、思わず目を開けさせられた感じよ。
まだ薄暗い朝5時すぎ。しおりはベッドから崩れ落ちるように床へ転がると、テーブルに置いてある体温計へと手を伸ばす。だが体が痛くて腕が持ち上がらない。仕方なくしおりは、匍匐前進のようにノロノロと体をゆすりながら、ようやく指が体温計に触れる距離まで近づいた。
カチャン!
つかみ損ねた体温計が床へ落下。それをなんとか手繰り寄せると、分厚いトレーナーの首元から右脇へと、体温計をねじ込んだ。高熱のせいか悪寒が止まらず、ベッドまで戻る気力がない。
――とりあえず熱だけはこのまま測ろう。
ピピピピッ
…え?体温計の表示が「88.8℃」になっている。よりによってこのタイミングで壊れたのかしら。でも全身を襲う痛みと悪寒の度合いからすると、かなりの高熱が出ていると思う。とりあえずベッドへ戻らなきゃ――。
しおりは匍匐前進の体勢のまま、足を先頭に床を這いながら後退した。そしてつま先がベッドの足に当たると蹲(うずくま)るようにして上半身を集め、肘をベッドに乗せると最後の力を振り絞り敷布団へと滑り込んだ。
(ふぅ。それにしても寒すぎるわ)
まだ10月だというのに、しおりの爪先は凍るような冷たさ。それが病気のせいなのか、はたまた気温のせいなのかは分からない。だが寒さのせいで余計に体が震え、全身の筋肉痛が増すように感じる。
(何か着るものを探したいけれど、もう一歩も動けないわ。あぁ、どうしてもっと早く掛布団を買わなかったんだろう――)
しおりは今年の春、掛布団を捨てたことを後悔した。クリーニングに出して5,000円もするのなら、ニトリで新しい物を買ったほうが新品でお得――。そう考えて、掛布団の季節が来るまでは毛布のみで過ごしてきたのだ。
それがよりによって病を患うタイミングで冬の寒さが来るとは、彼女の人生も終わりが近いということなのか。
いつの間にか眠りについていたしおり。気がつくと4時間が過ぎていた。目覚めると同時に、全身を突き刺すような酷い痛みに顔を歪める。少しでも痛みから逃れようと、体を丸めたりピンと伸ばしたり色々試してみるが変化はない。
朦朧とする意識の中でしおりは再び床へと身を投げ出すと、鎮痛剤を求めて匍匐前進を開始した。どんな状況でも目的地まで前進を続ける、陸上自衛官の魂を受け継いだかのような鬼気迫る表情で。
薬ボックスには大量の内服薬やら貼付薬やらがごちゃ混ぜに詰め込まれている。
(この中から消炎鎮痛剤を探し出すのは至難の業ね――)
途方に暮れるしおり、とりあえずは指に触れた紙袋を片っ端から引っ張り出すことにした。
「フスコデ」これは鎮咳薬だから関係ないわ。「セフゾンカプセル」これも違う、抗生物質よ。「プロチゾラム錠」睡眠薬ね、いらないわ。
――どうしてこういう時に限って、ロキソニンやカロナールが出てこないのかしら。
しばらくガサゴソするうちに、ようやく消炎鎮痛剤を発見。探せば他の鎮痛剤もあるが、これ以上は気力と体力の限界。鎮痛剤であるセレコックスとペットボトルを掴むと、しおりはふと携帯電話を探した。
「体中が痛いの。セレコックス飲んでもいい?」
主治医へメッセージを送る。念のため確認をしてから服用するあたり、従順といえる。すると主治医は、
「飲んでもいいけど、カロナールはないの?」
と返してきた。もちろん薬ボックスのどこかにはあるはず。だが今は小さな錠剤一粒を探すことすらできないほど、彼女は衰弱しきっていたのだ。
(お願い、セレコックスで勘弁して!)
しおりは心の中で叫んだ。
「わかったわ。セレコックスは立ち上がりが遅いから、カロナールのほうがいいのよ。ま、そのかわり長く効くけどね」
ちょっとした蘊蓄(うんちく)を尻目に、力なく震える手でキャップを回すと、しおりはセレコックスと生ぬるい水を渇いた口へと流し込んだ。
――これでもう少し生きられるわ。
*
2回目の新型コロナワクチン接種を終えたしおりの妄想は、とどまるところを知らない。
(了)
サムネイル by 希鳳
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