本日、人生初のピアノミニリサイタルを開催する予定だったわたしだが、なんと「観客がゼロ」というまさかの事態に見舞われた。
生きていれば色々なトラブルに遭遇するし、人間には"絶対"などありえないことくらい承知しているが、それでも今日までの三週間、なによりもピアノを優先し(・・などというと、仕事上問題があるが)、睡眠を削り体調不良や怪我を押して、今日この日のために時間と精神を費やしてきたのは事実。
これらはすべて"たった一人の観客"のために、今できる最大限の悪あがきを重ねてきた結果だが、当日さえ終われば解放される——という縛りを課したわたしは、タイムリミットとなる「本日」が近づくにつれて、徐々に精神が疲弊し食欲不振となり、頭痛と倦怠感に襲われるようになった。
(でもこの感じ、なんか懐かしいな・・)
その昔、やはり"タイムリミットという名のゴール"を設けて、目的に向かって突き進んだ若かりし頃の自分を思い出していた。あれから何十年もたったが、今でも同じように己のすべてを傾倒できるなんて、それはそれで面白いじゃないか——などとほくそ笑みながらも、一筋の涙が頬を伝うのであった。
とはいえ、今さら会場をキャンセルすることはできないし、この呪縛から解き放たれるためには、わたし自身が「着地」する必要がある。ということは、やはりミニリサイタルを敢行するしかないわけだ。
平日の午後4時という絶妙な時間帯・・しかも、当日いきなり声をかけて快諾する者などいるのだろうか——そんな不安を抱えながらも、過去に「わたしのピアノを聞きたい」と言ってくれた友人らへメッセージを送ってみた。
当然ながら仕事で断念する者もいる中、さすがはわたしの友人である。急な依頼にもかかわらず、四名の猛者がスタジオへと駆けつけてくれたのだ。
互いを知らない彼ら彼女らは、"わたし"を通じて繋がっている。そんな見ず知らずの四名だが、どことなく雰囲気が似通っているから不思議。しかも、それぞれが音楽や美術、写真や建築といった芸術分野に精通しており、集うべくして集まった精鋭部隊に見えなくもない。
そんな素晴らしい仲間に見守られながら、亜脱臼に加えて靭帯損傷により不自由な指を駆使しつつ、わたしは心を込めてピアノを弾いた。
本来、この曲を届けるべき相手はここにはいない。そしてここにいるのは、とりあえずで寄せ集めた急ごしらえの観客たち。それなのになんだろう、まるで彼ら彼女らのために準備したかのような安心感は——。
崩れかけていた精神力と集中力を振り絞り、なんとか最後まで弾き切ったわたしは、拙い足取りではあるが無事に着地を果たすことができた。未だ残る胸のモヤモヤは晴れずとも、それでも解呪完了だ——。
これでまた、ピアノの曲ではなく"ピアノの音の出し方"の練習へと逆戻りの生活が始まる。なんせ今のわたしには、曲を弾きこなせるほどの技術もなければ準備もできていない。だからこそ今回は、「付け焼き刃にもほどがある」と呆れられながらも、強引に作り上げた即席のプログラムだったのだ。
今日からまた、目の前だけを見て進もう。走ったり飛び越えたりせずに、一歩ずつ確実に歩んでいこう——そう改めて思えるのは、駆けつけてくれた四人のおかげだ。
わたしの想いを回収してくれてありがとう。ちゃんと着地させてくれて、ありがとう。
*
縁のある人とは、何度でも必要なときに必要なタイミングで出会うことができる。逆に、縁のない人とは、目に見えないチカラで引き裂かれるかのように出会いが阻止されていく。
これもまた抗えない運命のようなもので、自分自身がどう願おうがその流れは変えられない。だからこそ、わたしのために足を運んでくれた四人には、心の底から感謝するのであった。
コメントを残す