このパンを買うのに必要な仕事量

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カネで幸せは買えないというが、ある程度の幸せはカネで買える。たとえばメゾンカイザーのパンを食べるには、カネが必要だ。そしてそれなりの金額を払えば、美味いパンにありつけるイコール幸せになれるのだから。

 

白金高輪駅周辺の地域開発のため、メゾンカイザーは閉店を余儀なくされた。ところが最近、道路を挟んだ向かい側に新たに店を構えたのを知った。

個人的には日本固有の手作りパンが好みだが、「ルヴァンリキッド」と呼ばれる液体天然酵母を使用したここのパンも捨てがたい。ルヴァンリキッドは、自然界に存在する酵母菌を培養したため、発行力は弱くて繊細な管理が必要とされるらしい。しかしその分、三千種類を超える多彩な酵母が発酵を促すため、複雑で味わいに奥行きのあるパンが焼き上がるのだそう。

そんな上質で高級なパンを味わうために、わざわざここまで買いに来る客がいるほどの、有名ベーカリーこそがメゾンカイザーなのである。

 

ここのパンを食べるにはカネが必要で、カネさえあればパンを食べることができる。よって、小さな幸せかもしれないがカネで幸せを手に入れることはできるのだ。

 

そしてカネを稼ぐには様々な手段があるが、手っ取り早いのは仕事をすることだろう。労働するもよし、物を作って売るもよし。対価としてカネを得ることができれば成功である。

しかしその料金設定というのは、一律に決められるものではない。たとえば、自分にはできないことを代理で引き受けてもらう場合など、高額であっても喜んで支払うだろう。それが自分にとって必要であればあるほど、金額にこだわることなく受け入れるのが、人間というものなのだ。

 

わたしは社労士とライター、そして零細企業の社長として報酬を得ている。だがどれも、お世辞にも高額とはいえない。同業他社と比べても、わたしの報酬は明らかに低いだろう。

しかしその裏には、わたしなりの価値観があっての料金設定となっている。社労士の報酬はその昔、都道府県社労士会の名のもとに金額の基準が定められていた。すでに廃止されているため、報酬基準の存在すら知らない社労士も多いが、その報酬額は正直高かった。

個人的には、「なぜこの程度の仕事で、これほどの報酬が得られるのだろうか?」という疑問がぬぐえなかった。とはいえ、同じ士業でも弁護士の報酬が高額であることには合点がいく。扱う業務への責任感や困難度合いが、桁違いに重たいからだ。

決して社労士業務を軽んじているわけではない。だがわたしの中では、そこまで高額な報酬を得られるほど、重大かつ手間のかかる業務とは思えないのである。

 

さらに、依頼人と協同で業務に取り組んだ結果、喜んでもらえたり感謝されたりと、カネでは換算できない達成感を得られることに本質的な価値がある。

無論、ボランティアではないので適正な報酬は請求する。しかしそれ以上に、迅速かつ正確な対応ができたことへの満足のほうが、はるかに手に入れたい対価といえるだろう。

つまりわたしは、自己満足のために社労士をしているのだ。

 

ところがこれは、あくまでわたし自身の個人的な見解であり、誰もがそう考えているわけではない。とくに、育児や介護といった「誰か」の生活を支える立場であれば、きれいごとではなく、ある程度の報酬をある程度の業務範囲内で確保する必要がある。

 

仕事に対する思い入れや熱量も関係するが、任務遂行と責任達成のために必要な報酬額というのは、やはりどうしても高額にならざるを得ない。それを無視して、わたし自身の歪んだ価値観を押し付けるのは、断じて正しいことではなかった。

「わたしがこの金額でできるのだから、あなたもできるよね?」

そういう問題ではないのだ。当人の能力や処理速度にもよるが、最も配慮すべきは依頼人の利益を損なわないことである。

 

自身の能力以上のパフォーマンスを期待すれば、いずれボロが出る。人間の生活の一部である「仕事」の割合は、あくまで本人が決めるものであり、他人のさじ加減では決められないもの。

そしてその報酬額を、依頼人が受け入れるか否かで契約の諾否が決まる…というだけのことなのだ。

 

わたしは先日、一人の人間を追い込んでいたことに気が付いた。自分のものさしで考えていたばかりに、相手の生活環境や技量を度外視していたのだ。

例えるならば、わたしは筋トレなどしないがチカラがある。おじいちゃんは村一番の力持ちだったと、父から聞いたこともある。つまり何もしなくても怪力だからこそ、筋トレに励むトレーニーの気持ちなど微塵も理解できないのだ。

それなのに、「筋トレなんかしなくても、筋肉はつくよ」などと軽々しく口にするのと同じことを、仕事においてもやっていたのである。

 

個人的には、カネよりも価値のあるものがたくさんあるため、カネに対する依存や執着は少ないほうだと自負している。だが誰もがそうではないということを、無視した結果がこれである。

 

 

メゾンカイザーのクロワッサンにかじりつきながら、「このパンに支払った金額を稼ぐのに、わたしはどれくらい仕事をしたのだろうか」と、自問自答するのであった。

 

Illustrated by 希鳳

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