天が与えしその声

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つくづく感じることだが、わたしはリアルな世界でしか生きることはできない。

「生きる」というと大袈裟だが、良くも悪くもわたしを正しく理解してもらうためには、実際に会ったことがあるとか、接触はなくとも実物が想像できるくらいにわたし寄りの人間であるとか、そういう状況が必要だからだ。

とくに「文字」というのは恐ろしい。声と違い直接発せられるものではないので、ある意味なんとでも言えるし、どんなことでも表せてしまうからだ。

 

それを示す顕著な場所といえば、Twitterだろう。

 

推しのツイートに称賛を送るファンは納得できるが、自称コンサルタントなどの薄っぺらい発言内容に、大勢の人間が共鳴する事実には驚きを隠せない。その内容は嘘ではないにせよ、ほぼ机上の空論だったり実現不可能だったりするのだが、それでも何万人の人間が賛同し、リツイートするのだから。

奇しくもそれが知人であり、「それは盛りすぎ」といわざるを得ない場面に遭遇することも。それでも大勢の信者は、その言葉に心酔し傾倒するのである。

 

かくいうわたしは、残寝ながら万人受けする文章を書くことができない。そもそもそういう傾向を嫌っている節もあるが、とにかくごく少数の人間、具体的には「わたしを好意的に受け止める友人のみ」が、わたしの書く文章に興味と評価を示してくれるのだ。

つまり「URABEという、変わった人間が書いているから面白い」というだけで、もしも同じ内容を違う誰かが書いたとしたら、「別に面白くない」となるのだろう。

言い換えると、「わたし」という奇妙な人間性が担保となっているだけなのだ。

 

それ故、まったく人気がない。

威張ることではないが、他人の顔色をうかがうために書いているわけではないので、それはそれで構わない。だがそれでは仕事にならないので、問題がないとは言えないが・・。

 

 

先日、とある友人のインスタライブを覗いてみた。深夜、いや早朝の4時過ぎということもあり、起きている人間はほとんどいない。そんな中で、わたしはパソコンをカチャカチャと叩きながらBGM代わりに彼の話を聞いていた。

驚いたのは、予想を上回る美しい声が脳内へ浸透したことだった。

 

ヒトの声というのは、生理的に受け入れられる・られないがハッキリしている。さらに話し方や口調というのも重要で、それらを不快に感じた時点でそれ以上耳を傾けることはできない。

その最たる例として、政治家が挙げられる。

政治家特有の偉そうな口調、質問に素直に答えない傲慢さ、結論を後回しにする無駄な作戦など、「あぁ、こいつは政治家だ」と思わずにはいられない、耳障りな話術こそが最も不快な音声である。

 

それでも、友人の声は脳に柔らかく響くと同時に、話している内容も的確かつちょうどいいテンポのため、聞いているだけで快感を覚えるのだ。

失礼な話だが、彼がここまで話し上手だとは思わなかった。というより、天から与えられしその声に乗せて、思いを言葉に変えて発することで、彼自身を正しく表現できているのだ。

(この人は、文字よりも声で伝えるべきひとだ――)

キーボードを叩く指を止めて、わたしは深く頷いた。

 

声というのは、体内からダイレクトに発せられる音のため、取り繕うにも限界がある。つまり天性の強みであり、誰もが手に入れられるギフトではない。

昔の話だが、自分の声や歌の録音を後で聞いた時のショックたるや、想像を絶するものだった。トレーニング次第である程度改善されるかもしれないが、それでも普通以上になることはないわけで、美容整形よりも難しい「個性」なのである。

 

友人のこの声と語り口をもってすれば、詐欺すらも可能だろう。よどみなく流れ込んでくる数々のストーリーは、彼の本心だからこそ美しいのかもしれないが、仮にそれが嘘であったとしても、その流れに酔いしれるほど心地よいものだったからだ。

 

ヒトは皆、何らかの手段で自分を表現することができる。それが声なのか、文字なのか、演技なのか、創作物なのか、はたまた存在なのか。

そして一生、最高の表現方法に出会えないまま消えていくヒトがほとんどだろう。

だからこそ、友人のように天性の素質を兼ね備えたヒトは、その「道具」を余すところなく活用し、この世と戦ったりあるいは貢献したりと、何らかの爪痕を残してほしいと思うのである。

 

やはり「リアル」というのは、人間の心に触れる力がある。取り繕った何かではなく、裸一貫で勝負できるものこそが、その人の強みであり生きる価値なのだ。

 

Illustrated by 希鳳

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