国や行政といったお役所的な組織は、諸々の対応が遅いことで有名。
実際、法律で動かされる場合は法律に沿った対応しかできず、本人たちの意思とは無関係の部分もあるのだが。
「士業者」と呼ばれる人たちも、どちらかというとお役所的な流れを汲むわけで、反応が鈍いこともままある。
かく言う私も士業の端くれ、そういう意味ではお堅い人間なのだ。
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社労士は5年に一度、全国社会保険労務士会連合会会則及び都道府県社会保険労務士会会則に基づき、倫理研修というものを受講しなければならない。
私はその2回目を、本日ウェブで受講した。
ーー10年経つのか
そう、私が社労士になって10年が経過。
コロナ禍における感染拡大防止のため、今年の倫理研修はウェブで実施されることとなったが、当たり前とはいえ、お堅い組織がこんな早急に柔軟な対応をとったことに、驚きの反面誇らしさを感じた。
「士業」という職業で必要な要素は、兎にも角にも倫理観だと思う。
その最たる資格が弁護士。
弁護士倫理というものは抜きん出て重要視されるが、他の士業も同じくらい高い意識と注意を払うべき分野だと思う。
先日、年配の税理士が私に言った。
「社労士の仕事なんてものは、税理士でもできるんだから」
もしこの発言が事実ならば、社労士などという国家資格は不要だろう。
「そうなんですか?それは知りませんでした」
嫌味のつもりで返す。
「そんなことも知らなかったのかね?わざわざ公にはしないが、裏では誰もがやってることだよ」
年配の税理士はこう言い放った。
この税理士がどれだけ大きな事務所に所属していようが、税理士歴が長かろうが、決して彼を尊敬できない。
倫理観のかけらもない人間が法の下で仕事をするなど、許されるものではないからだ。
自らの職業に誇りをもつのは大切なことだが、他人の職業を蔑(ないがし)ろにしてまで上に立つなど、年長者がとるべき行動とは思えない。
だが、この年配の税理士も、昔は違ったのかもしれない。
あるいは、社労士などというレベルの低い資格をひけらかす生意気な小娘の性根を叩き直してやろう、という指導のつもりだったのかもしれない。
今日まで築き上げてきた自身の立派な環境を維持するため、もしくは自分の存在意義を示すため、他人を批判することで自らを守り誇張しようとした結果、ああいう発言につながったのだろうか。
いずれにせよ、
前進しか考えていない時は、得てして他人など気にしないものだ。
少し落ち着いた時、初めて他人が気になり始める。
そして自分が動かなくなった時、他人の足を引っ張ることで追い抜かれるのを阻止しようとする。
仕事に限った話でもない、スポーツでも趣味でも同じような場面は訪れる。
他人が気になり始めたら、自分の成長が止まりかけている合図。
いま一度自らを見つめ直し、「進むべき方向を再確認する時が来た」と思えれば、歩みが止まることはないだろう。
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社労士の仕事ができる・できないという、作業的な観点からすれば、この仕事は誰にでもできる。
人事や総務歴の長い従業員の方が、新米社労士よりも業務内容を熟知していることはよくある。
では何が違うのか。
それこそが社労士としての職業倫理の有無だ。
法令に基づく申請書類の作成ができる、手続きを代行する、就業規則や法定帳簿を作成・保管する。
こんな物理的な作業など、誰にでもできる。
社労士に求められるのは業務に対する法的責任であり、その根幹にあるのが倫理的視点だ。
できるできないなど論外。
局所的な事象ではなく、全体を俯瞰した上でどう対処すべきかを判断し、その責任を負うことこそが、士業者に求められる資質だと考える。
少なくとも私は、そう胸に刻んで業務に邁進している。
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