スイカのテクニシャン、ワタシ。

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いよいよ、スイカの季節がやってきた。意外にも4月上旬でカットスイカにありつけるとは、新年度として上々の滑り出しである。

そして、もうすでに春服へと衣替えを果たしたわたしだが、夜中はさすがに肌寒いので、足元でセラミックヒーターを稼働させながらスイカを食べるという、なんともオツな楽しみ方をしているわけだ。

 

それにしても、わたしが好きな果物といえばネクタリンにシャインマスカット、イチゴ、メロン、マンゴー・・というように、上位にスイカは挙がらない。

それなのになぜか、スーパーでスイカを見つけるとついつい手が伸びてしまうのだ。

今日だって、40%引きのシールが貼られたカットスイカを6個、つまり、陳列されていた分をすべてわたしが買い占めてやった。要するにこの店は、わたしのためにスイカを仕入れている・・といっても過言ではないのである。

 

他の果物を差し置いてスイカを買ってしまう理由の一つに、「費用対効果の大きさ」が考えられる。

桃や葡萄、メロン、イチゴといった高級フルーツは、金額の割に食べた感じがしない。そのため、いつしか「誰か送ってくれないかなー」という他力になってしまうのだ。

おまけに、自力でイチゴを買ったところで、レジを通過してから袋に詰めるまでの間に食べてしまうので、スーパーを出るときにはイチゴは姿を消している・・こんな切ないことはないだろう。

 

それに比べてスイカは、そこまで高額ではないのに、豊富な水分量としっかりした甘みを兼ね備えているではないか。喉が渇いているときなど、それこそ丸ごと一玉いってしまうほど、低所得者にとっての強い味方といえる。

さらに、カットスイカに至っては、手を汚すことなくスイカを満喫することができる・・という強みがある。爪楊枝一本で、サクサク食べることのできるカットスイカは、なんともエコな果物なのだ。

 

そしてわたしは、スイカの種の飛ばし方が抜群に上手くなっていた。

昨年度までのわたしは、ややもすると的を外して床に転がしていたが、今年度は違う。唇の尖らせ方から息の吹き付け方まで、かなりのコントロールができるようになった。

 

これといった練習をした覚えはないが、なぜか種を的確に飛ばせるわたし。なぜ4月になったらいきなりできるのか——。

とはいえ、こんなことは自慢にもならないどころか、むしろ叱られるであろう行儀の悪さである。そのため、自宅以外では披露する場もなく、種飛ばしのコントロールがよくなったからといって、誰かに自慢することもできないわけだ。

 

メロンソーダを注文すると、毒々しいピンク色のチェリーが乗っている。あれの茎を口の中で結ぼうと、真剣な表情で悪戦苦闘したことがあるが、最終的に茎を染めていたピンク色が落ちて、茶色い茎が現れたことがショックで(わたしが人工着色料を舐め尽くしたことがショックで)、もう二度とやらないと誓った。

あんな感じで、スイカの種をプッププップと"的に当てる自慢"ができればいいが、やはりどこか下品で行儀が悪いため受け入れられないだろう。

 

——だが、それでもいい。なぜなら、この技術を誰かに自慢したいわけじゃないからだ。

 

種飛ばしの目的は、わが家を汚さずにスイカを食べきることにある。そのためにも、種を飛ばす瞬間に躊躇したり迷ったりしないよう、精神を集中させる必要がある。

ほかにも、口に含んだ種のまとめ方や、種を着地させる場所の距離感など、考えるべきことがたくさんあるのだ。

そして細心の注意を払い、神経を唇と舌に集中させてプッと勢いよく・・といっても、レイアップシュートのような置いて来る感覚を忘れずに、弧を描くようリリースするのである。

 

このように、単に「カットスイカを食べる」といっても、味わうだけでなく種の処理まで抜け目なく続くわけで、わたしにとっては「食べる楽しみ」というより「分別する作業」なのである。

 

 

というわけで、わたしとスイカの新年度がスタートした。この調子でいくと、比較的長期間スイカを堪能することができそうで、なんともラッキーな一年になりそうである。

 

Illustrated by 希鳳

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