それでも腹は減る

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わたしは今、ダイエットに励んでいる。正確には「ダイエットすることを今日決めた」という感じではあるが、いずれにせよ"ダイエットに着手せざるを得ない状況"であることに変わりはない。

事の発端は、二週間ほど前にアメリカでフードファイターの修行を積んだことと、帰国後もなにかと食べ物が絶えない暮らしを送っていたことから、腹部のフォルムが臨月の妊婦と化してしまい、これはどうにかしなければ・・とようやく現実に目覚めたわけだ。

 

見た目以上に厳しいのは、体育座りをすると腹が邪魔で後ろへひっくり返りそうになることだ。そこで気がつくことといえば、「中年太りのオッサンたちは、日常的に体育座りなどする機会がないから、自分の腹がどれほどせり出ているかを知らないんだ」という事実であった。

一家の主が定期的に運動を行うという行為は、日本においては非常にハードルが高い。そして、あぐらをかくことはあっても、体育座りをする状況など滅多にないため、己の腹が突出していることを知る余地もない。

ところが、ブラジリアン柔術のようなマット運動を行う際には、必然的に膝を抱きかかえるような動作が入るため、否が応でも腹の出っ張りに気づかされてしまうのだ。

 

とはいえ、趣味の運動で腹が苦しいだけならば、単なる自業自得なので問題はない。苦しいのが嫌ならば痩せればいいし、それよりも食欲が勝るのならば太り続けるしかないし、当然の結末ゆえに大したことではないからだ。

ところが、もしも人前で腹を晒すことになれば・・加えて、人前で体重を量ることになれば、これはもはや自分だけの問題ではなくなる。わたしのボディーをチェックする医師や看護師への心理的な影響を考慮すると、ここはやはり普通程度まで戻す必要があるわけで。

そう・・来たる10月6日に、わたしは公開処刑ならぬ"身体検査"を受けなければならないのだ。

 

いま思えば、健康診断なるものを受診したのは、いったい何年前なのだろうか。会社勤めの人ならば、毎年定期的に健康診断を受けるため、その日が近づくと酒を控えたり食事の量を減らしたりと、無意味で浅はかな努力を行うもの。

だが自営業であるわたしにとっては、"臭い物に蓋をする精神"から己の不健康をあえて知ろうとはせず、10年・・いや、15年以上もの間、健康診断なるものを避けてきたのだ。にもかかわらず、10月6日に強制的に身体検査を受けなければならず、言わずもがな戦々恐々とするのであった。

 

(なになに、合格基準表というのがあるのか。そして体重超過の判定基準は・・・)

わたしは痩せても枯れてもオンナである。まさか、体重超過と判断されて、追加で「体脂肪率を測定する」などという失態は避けなければならない。というか、そもそも体脂肪率というのも測定したことがないので、たしかに筋肉質ではあるがそれとは別に大量の脂肪を蓄えているのも事実。

そんなものまで測られて恥を晒すくらいならば、今のうちにダイエットを敢行するべきだ——。

 

わたしの体はスポンジでできているので、体重を落とすことは簡単。だが、見た目も含めて痩せるとなると、これは本格的なダイエットが必要となる。そしてダイエットといえば運動と食事制限が軸となるわけで、食べることが生き甲斐のわたしにとって、これはとてつもなく過酷な試練となる。

「食い物よこせって、まるで盗賊じゃないですか!」

先日、「感謝や称賛の言葉はいらないから、なにか食べ物をよこせ」と後輩に詰め寄った際に、こう返されたわたし。言葉尻だけを捕らえると、たしかに盗賊のような発言ではあるが、ニンゲンたるもの何か食わなければ生きていけないわけで、その場しのぎの上っ面な言葉なんかより、血となり肉となる食べ物をもらったほうがよっぽど嬉しいのは当たり前。

 

・・なんてことを考えているから、いつまで経っても痩せないのである。そんなことは百も承知だが、わたしにとってのアイデンティティであり、かつ、揺るぎない信念なのだからしょうがない。

いやいや、今は信念だのアイデンティティだの言ってる場合ではない。あと二週間で、他人に見られても恥ずかしくないボディーを完成させなければならないのだから!

 

 

それでも腹は減るのである。

 

Illustrated by 希鳳

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