私の神経を逆撫でする、AIの際どい勘違い

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わたしを舐めないでもらいたい・・というか、ニンゲンを甘く見ないでもらいたい。確かに、昨今におけるAIの進歩のスピードは目を見張るものがある。そして、日進月歩で成長を遂げるテクノロジーの力は、称賛に値するとともに人類の脅威にもなり得るため、畏怖の念を抱かずにはいられないわけで。

だからといってニンゲンが・・いや、このわたしが満足する結果を提供できるという確証はない。いずれはそんな日が来るのかもしれないが、少なくとも今ではないし、むしろその"きわどい勘違い"が神経を逆撫でするというか、生理的に受け入れ難い怒りからの嫌悪感・・という、負の連鎖を強要している事実を学習してもらいたいのである。

 

では、いったい何に対してここまで憤慨しているのかというと、InstagramやXがわたしの趣味嗜好や動向を分析し、関心がありそうな投稿を勝手に表示してくるのだが、その分析結果が著しく外れていることに、呆れると同時に腹を立てているのだ。

その分析結果とは、コビトカバの動画や画像が次々と表示される・・というものだった。

そしてなぜコビトカバがたくさん出てくるのかというと——そう、フォルムや生態がカピバラと類似しているからだ。

 

言わずもがな、わたしは大のカピバラマニアを自負している。そのため、友人からは「オススメでカピバラが出てくる」などと、若干迷惑がられている部分もあるが、そんな地道なロビー活動が奏功してか、多方面から"カピバラ情報"が届くようになった。

「昔働いていた会社の近くの専門学校で、カピバラが飼われていたよ」

「出先でカピバラを見つけたので、興味はないけどURABEのために写真撮ってみた」

・・などなど、ちょっとしたことではあるが、カピバラの認知度が確実に上がっていることに、わたしは喜びを隠せなかった。

 

そして都内で暮らすわたしにとっては、SNSを通じてカピバラの状態を観察することが日課となっている。名古屋の友人が飼育しているカピバラのマロン、大宮公園小動物園のアイドルバラ・ピースをはじめ、那須どうぶつ王国、伊豆シャボテン公園、袖ヶ浦ふれあいどうぶつ縁、ダチョウ王国石岡ファーム、各地のカピカフェ、全国のカピファンらの投稿に、日々目を輝かせるのであった。

これこそがわたしのエネルギーであり幸せであり、生きている証でもある。要するに、カピバラを見るだけでセロトニン(幸せホルモン)がドバドバと放出されるわけで、カピバラの同類・・つまり、齧歯類の仲間であるモルモットやネズミ、リスなどを見ても、セロトニンは一滴も垂れないから不思議なのだ。

そのくらい"カピバラ"という存在がわたしにとっては特別なわけで、「見た目が似ているから」という理由で、ほかの動物に目移りすることはあり得ない。それなのにAIは、なにを血迷ったか「カバ(正確には、コビトカバ)の赤ちゃん」をやたらと推してくるではないか!

 

カバは、鯨偶蹄目(くじらぐうていもく)カバ科に分類され、水中と陸の両方で暮らしている。ちなみに、体毛がない上にデリケートな皮膚のため、日差しや乾燥で傷ついてしまうことから、粘性のある赤い汗(厳密には、カバに汗腺は存在しないため、体温調節のための汗ではなく皮膚を保護するためのローションのようなもの)で、皮膚や体を守っている。

 

無論、コビトカバの赤ちゃんに罪はないし、見方によっては「かわいい」と思えるのかもしれない。さらに、水面から顔を出す際には耳・目・鼻が一直線となるような頭部のつくりをしており、それはすなわちカピバラと同じだったりする。

そんな共通点があることと、タイ東部のカオ・キィアオ動物園で7月に生まれたばかりの赤ちゃんコビトカバ・ムーデン(タイ語で"豚肉団子"の意味)が、日本のSNSを連日賑わわせていることからも、ここぞとばかりにAIはわたしに"コビトカバ"を勧めてくるのであった。

 

(AIからすると、コビトカバの赤ん坊と仔カピは同類に見えるのだろうか・・)

たしかに、ずんぐりむっくりとしたフォルムに短い手足、草食である上に水陸両用とくれば、カピバラと間違えるのは無理もない。そして、データの蓄積が全てであるAIだからこそ、「きっとこいつはコビトカバにも興味を示すに違いない」と判断したのだ。

だが、これがもしも人間ならば・・いや、わたしの友達ならば、カピバラに愛着があるわたしの目が、カピバラにしか向かないことを知っている。そして、似て非なる動物に目移りなどしないことも、言われずとも理解しているはず。

・・・ここが、生身の人間と金属でできた機械との違いなのだ。

 

 

似ているか似ていないかの判断は、個々によって大きく異なるもの。他人からしたらほぼ同じに見えても、わたしからすれば全く違ったりするわけで、その差異を判断するには、文字や言葉ではなく「空気感」のような微妙な要素がヒントとなる。

そんな細かな片鱗を拾いきれるのは、今のところは人間だけだろう。だからこそ、微妙に違う近似値というか決して交わることのないお隣さんを、これ見よがしに推さないでもらいたいのだ。なぜならそれは、似て非なるもの・・いや、それ以前にわたしにとっては全く別のものだからだ。

 

とは言え、いつか「微妙な空気感」すらAIが学習できるようになったならば、その頃には人間の友人はもういないのかもしれない——。

 

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