灯油の僕(しもべ)

Pocket

 

長野の片田舎にある質素で取り柄のない実家に、特筆すべき点があるとしたら暖房器具だろう。そこで、都内の自宅において一か月の電気代が一万八千円を超えたわたしは、恐ろしさのあまり実家へと避難をした。

なんせ、雪国として有名な長野はとにかく寒い。長野駅に降り立った時点で、誰もが背筋をピンと伸ばさざるを得ないほどの、恐ろしく洗練された寒さを体感させられるのだから。

 

しかも、都内のように逃げ隠れできる場所が少ないため、シベリアを彷彿とさせる極寒と対峙せざるを得ない状況に、だれもが「生き抜くための強い意志」を求められるのである。

ちなみに、その覚悟が持てない者を待ち受けるのは「死」である。だからこそ長野県民は、どんな寒さの中でも生き延びる術を知っており、命をつなぐための暖房器具にすべてを注いでいるわけだ。

 

 

(・・・あったかい)

わたしはいま、灯油ストーブの前にうずくまっている。そして改めて思うのは、灯油のパワーというのは誰がなんと言おうと"絶対かつ圧倒的"だということだ。

電力のパワーももちろん強大だが、やはり石油由来の生きたエネルギーは素晴らしい。なんせ、ストーブの中で燃え盛る炎に触れれば簡単に火傷するわけで、運が悪ければ家を燃やすほどのパワーがあるのだから。

 

そんな絶対的な存在感を示す灯油ストーブの前で、わたしはさっきからずっとひれ伏している。まるで灯油の僕(しもべ)になったかのような姿だが、そう思われても構わないしそうでありたい。なんせ、リアル極寒の地である長野で生き延びるには、灯油のチカラなしでは不可能だからだ。

そしてもう一人、わたしと同じく灯油ストーブにひれ伏す存在があった。それは、フレンチブルドッグの乙だった。

 

灯油ストーブの送風口は下についているため、温かい空気をダイレクトに浴びるには地面にひれ伏さなければならない・・というのは想像に難くない。だが、伏臥位になると頭部やつま先が送風口からはみ出るため、結局はうずくまる形で丸まるしかないのだ。

それでも、左右どちらかの側面しか温められないので、適当なタイミングで左右を入れ替えて体全体に温風を当てなければならない。・・それにしても、ストーブの前にひれ伏すオトナなど滅多にお目にかからないわけで、その図は単なる"ヤバイ奴"でしかないが、どれほど罵られようがわたしはここから離れることはできないのである。

 

全身全霊で灯油ストーブの恩恵に与るわたしは、ふと向こう側にあるもう一つの灯油ストーブに目をやった。するとそこには、愛犬・乙の姿があった。

フレンチブルドッグの乙は、おフランスの高貴な血が流れているため、長野のような田舎の寒さには耐えられないのだろう。なんせ、血統書に記載された名前は「デリケート・オブ・フラワー・ハウス・ジェイピー」という立派なものであり、まさか「二匹目だから甲乙丙の乙!」などという理由で命名されたとは、夢にも思わないはず。

 

そんなおフランスのお嬢さまが、わたしと同じくストーブの送風口の前でびろーんと寝そべっているではないか。乙は体長が短いため、ストーブから吹き出る温風を余すところなく享受しており、わたしよりも温かくて幸せそうに見える。

さらに、送風口に直接触れると危険なことから、乙専用の柵が手前に設置されており、そこへ背中を持たれかけるようにしてウットリしているではないか。

(・・・うらやましい)

片やわたしは、傍から見えれば土下座をしている輩でありまったく美しくない。対する乙は、どことなく高貴な雰囲気を漂わせながら温風に身を委ねている。——わたしもあっちがいい。

 

こともあろうに飼い主のわたしは、くつろぐ飼い犬をどかすとそこへうずくまってみた。本当ならば乙のようにびろーんと伸びたかったが、そうすればやはり体の大部分が送風口からはみ出るため、やむを得ず土下座スタイルで恩恵に与ろうとしたのである。

(・・さほど快適ではない)

そりゃそうだ。あちらの灯油ストーブとまったく同じ温風が出ており、さらに乙専用の柵のせいでさっきより遠くでうずくまっているのだから、いいことなどなにもない。

 

すると、無残にも飼い主に追い払われた乙が、さっきまでわたしが温まっていた場所へドスンと横たわると、またもや気持ちよさそうに温風に身を委ねているではないか。

それを見たわたしは、とある事実に気がついた。

 

(犬がストーブの前で寝そべっているから、絵になるんだ——)

 

 

こうして、第二のシベリアと揶揄される極寒都市・長野の夜は更けていくのであった。

 

サムネイル by 希鳳

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です