"聞こえない音"を聞くこと

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ニンゲンの五感というのは、経験によってさらに深掘りされる・・ということを、今日あらためて実感した。

たしかに、食べ物や飲み物を味わえば味わうほど、風味を覚えるので舌は肥える。これはニオイにもいえることだが、「懐かしい味(匂い)」や「おふくろの味」、「雨の匂い」というように、なぜか脳内に強く刻み込まれる感覚であり、一度体験すると二度と忘れない類のものだろう。

 

それに比べて、視覚や聴覚というのはあてにならない。なんせ、一度見聞きしたことを、その後もずっと覚えていられる者は少ないわけで、そんなことが可能ならばこの世は天才で溢れかえっているだろう。

それでは世界の均衡が保てないことからも、ある程度"忘れること"が必要なのだ。

 

だがやはり「知ること」は重要である。

何度忘れようとも、その度に見聞きし直せばいいだけのことで、それらを繰り返すことで少しずつ、自分の中にある物差しのメモリが増えていくからだ。

 

——そう思ったのは二年前のことだった。そして二年経った今日、再び同じことを思うのであった。

 

 

昨日、表参道クラシックスペースにて、グランドピアノの最高峰であるスタインウェイ(セミコンモデル)を借りて、発表会の練習を行ったわたし。

なんていうか、今まで聞こえていた音がアナログだったかのように、ものすごい音の幅と音量がそこにはあった。

 

音の幅とは単純に音の高低ではなく、音の響きとでもいうのだろうか、とにかく幅を感じたのだ。

語彙力の乏しさが悔やまれるが、幅が広くて両手では収まりきらないほどの、「響きの横幅」に圧倒されてしまった。

 

さらに音量は言わずもがな、スタジオ内を埋め尽くすほどの大音量は圧巻である。そして何よりも、弱い音のレベルに驚かされた。

わが家のアップライトは、消音装置がついているため電子音しか出ない。よって、音の強弱も三段階しかないため、大きな音は出せても小さな音は無理なのだ。

たとえば、鍵盤に触れる程度では音は出ない。もう少ししっかりと押し込めば出るが、結局、そこまで深く打鍵しなければ音として認識されないのである。

 

これらの事情から、いつだってガンガンと乱暴な演奏になってしまうのだ。・・いや、これは単なる言い訳だが。

 

そしてスタインウェイは、そっと触れるだけで音が鳴った。決して「弾いた」つもりはないのに、それでも音が出てしまうのだ。

(これこそが、一流ってやつか・・・)

とにかく、音の響きと音量の幅に翻弄されながらも、わたしは「ホンモノ」を体感したのである。

 

 

そんな繊細かつ超一流を味わったわたしは、その感覚を抱えたままレッスンに向かった。

先生宅のピアノはヤマハの小さなグランドピアノで、マンションということもあり響板(ピアノ内部)に布を敷くなど、響きを抑える細工がしてある。

そのため、全体的に音が小さく聞こえるので、ついつい力いっぱい弾いてしまうのであった。

 

「小学生の子どもが暴れてるみたいね・・」

そんな小言をいわれる始末。かといって全体的に抑えて弾くと、なんというか弾いた感じがしないので、消化不良となる——。

そんなこんなで、いつも大暴れなのである。

 

だが今日は違う。なんせ超一流を経験してきたわけで、あの感触や音量はまだしっかりと体内に残っている。このまま、スタインウェイのイメージで弾いてみよう——。

もちろん、実際に聞こえている音はいつも通りの抑えられた音量・音域だったが、わたしの脳内ではスタインウェイで覚えた感覚が再現されている。そのせいか、いつもは聞こえない範囲の音が聞こえる気がするじゃないか。

 

「どうしたの?ぜんぜん違うじゃない!」

先生が驚きの表情でそう呟いた。まさか、違いが分かるのか?!

その時わたしは、とあるピアニストの言葉を思い出した。

(ピアノという「楽器を演奏する」意識を持つ・・っていうのは、こういうことなのか)

 

彼曰く、「心を込めて弾くのではなく、心を通して弾く」のが重要とのこと。

心を込めて弾こうとすると、どんどん前のめりになって主観的な弾き方になってしまう。だからといって、なんの感情も持たないまま演奏すれば、単なる音の羅列で終わってしまう。

だからこそ、心を通して演奏するのだ。自分自身が奏でているのではなく、あくまで「ピアノという楽器を演奏している意識」を持つことで、独りよがりではなく客観的に美しい音楽となるわけだ。

 

よくよく考えると、他の楽器は比較的「演奏している」感覚が強い。リコーダーであれギターであれ、その楽器を奏でている意識があるからだ。

ところがピアノは、ややもすると「自分の一部」というような感覚が湧いてきて、気持ちよく弾きすぎてしまう傾向にある。

そこに技術が伴えばいいのだが、ほとんどの場合はナルシスト的に「自分自身が気持ちのいい演奏」になってしまい、聴いている側からすると「ガチャガチャとうるさい演奏」でしかないのだ。

 

それがよく分かるのは、録音した自身の演奏を聴いたときである。恥ずかしいほど稚拙かつ乱雑な演奏に、すぐさま停止ボタンを押したくなるほどの恥ずかしさを覚えるわけで。

つまり、「その演奏を聴いたものがどう感じるか」が重要なのだ。そのためには、自分の耳で聞こえている音だけではなく、本来あるべき音をイメージし、再現しなければならない。

 

とどのつまりは、「本物を知ること」が絶対的に必要なのだ。

 

 

この「聞こえない感覚」を大切に、あと少しの間、練習に没頭しようと思う。

 

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