なんともいい時代になったものだ・・とつくづく実感する昨今。なぜなら、昔ならば現地へ赴かなければ知ることのできなかった情報が、今では寝ながらにして触れることができるからだ。
たとえば、Googleマップのストリートビューを使えば、無料で世界中の街並みを見ることができるし、地図からは想像できない建物や景色を実際の画像で確認できる。これは、Googleのストリートビュー撮影車が世界中を練り歩き(?)、細い路地から辺鄙な土地まで東奔西走してくれた成果だが、それらを課金することなく利用できるとは、じつに贅沢で便利なツールといえる。
これと似たようなことで、専門的な知識を持つユーチューバーからの発信により、島国・日本でのんびり過ごしていたのでは知ることや触れることのできないメソッドを、これまた無料で手に入れることができるのも「時代が変わったのだ」と思うところだったりする。
とくにわたしは"ピアノの弾き方"について、日々新たな発見に驚かされているのであった。
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ピアニスト系ユーチューバー、しかも海外留学経験のある彼ら彼女らが、国や流派に関係なく全員が同じことを言っているのには驚いた。それは「日本人は皆、同じような弾き方をする」と、師事する先生から言われる・・ということだ。
無論、日本人の先生から指導を受けたピアニストでも、その先生が海外の師匠についていたりすれば、留学経験者と同じような見解を示すわけだが、その昔、わたしが小学生の頃には「禁忌」とされていた弾き方や考え方が、現代では「推奨」されているから驚きなのだ。
(とはいえ、言葉なんてものは主観的な発信なので、指導者の経験から生まれた発言が生徒に刺さるかどうかは分からない。だからこそ、正しい事実のみを伝えるほうが結果的に伝わるのかもしれないが)
幼少期、とにかく「指を速く動かす練習」というのをやらされた。指を一本ずつ独立して動かせるように、上下に大きく上げ下げするのだが、力が入れば入るほど指の動きは鈍くなり、頑張れば頑張るほどできなくなっていった。
あとは、音の聞き方(聞こえ方)について、「大きく」「小さく」という二つの違いしか気にすることはなかった。曲全体の調和やバランスはなんとなく感じていたが、一つ一つの音の質や響きに耳を傾けることなどなかったのだ。
実際には、先生の指示に従って弾くことで「結果的にまとまった演奏」になっていたのかもしれないが、自分自身の耳で確認しながら弾いた経験は一度もなかった。
ところが、海外留学系のピアニストユーチューバーは「とにかく音(響き)を聞け」と「とにかく指で弾くな」ということを、全員が徹底して伝えているのである。
ピアノは指で弾いているのに、指で弾くなとはどういうことだ——最初はその意味がよく分からなかったが、彼ら彼女らの動画を視聴するうちに、言っていることが理解できるようになってきた。なぜなら、指先で弾く・・というのは非常に力を使う行為であり、脱力した柔らかい音など出せるはずもないからだ。
さらに得心が行く表現なのは、「鍵盤は重いもの」という言葉だった。ピアノに限らず、力を抜いた状態でビールの入ったジョッキを掴もうとすれば、持ち上げることも動かすこともできないだろう。逆に、歯を食いしばって力いっぱい持ち上げれば、ジョッキは軽々持ち上がるはず。
要するに、脱力していると物は重たく感じる・・ということなのだ。
これを鍵盤に置き換えてみると、"脱力した状態で打鍵すると、鍵盤は重く感じる"はずで、もしも鍵盤が軽く感じるならば、それは指に力が入っている証拠といえる。
ところがわたしは、ブラブラに脱力しているにもかかわらず、速いパッセージで人さし指だけがピーンと伸びてしまうことがあり、どうすればこの力を抜くことができるのかが分からず、壁にぶち当たっていた。
そんな折に、ちょっと意識を変えて"手の内側、つまり手のひらで弾くようなイメージ"で動かしてみたところ、いつもならばピーンと伸びてしまう人さし指が、くたっと下を向いたのだ!
おまけに、指先で感じる鍵盤は重い。鍵盤が重いというか、腕の重さを支えているから重く感じるような、なんとも不思議な感覚である。だがこれこそが、ピアニスト系ユーチューバーたちが口を揃えて言う「指で弾くな!」「重さを感じろ!」ということなのではなかろうか——。
力を抜こうとすればするほど、無意識にどこかに力が入っていたわたし。それでもあれこれ試すうちに、まさかの方法で脱力を体感することができたわけだが、わたし的にはこれは「脱力」とは感じなかった。
言い換えるならば「手のひらに体の重みを集めた感じ」だろうか。指先はタコの足・・いや、のれんのように、ヒラヒラとくっ付いてはいるが意味のないもので、手のひらにエネルギーを凝縮させた状態・・というのがしっくりくる。
こうなると、「つまみ上げるような感じで弾く」「吊り上げているような感じで弾く」という表現も、言われてみれば合っている気がする。当然ながら「腕の重みを感じる」とか「手指を脱力する」というのもその通りだと思う。
・・・とどのつまりは、その状態になって初めて"その言葉"がハマったのである。
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視点が変わると感じ方が変わる。考える方向性をずらせば、得られるものが変わる——ということを、久しぶりに実感した瞬間だった。
今はその感覚を忘れないように、手のひらでパソコンのキーボードをカチャカチャするであった。
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