そういえば、ベートーヴェン生誕251年

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大学受験の最後に弾いた曲が、ベートーヴェンだった。

 

あれからずいぶん長い年月が経過した。

人生2巡目のピアノをスタートさせて一年、苦手な曲ばかり練習してきたが、本日ようやく、ベートーヴェンが戻ってきた。

 

 

人には得手不得手が存在するが、ピアノでいう私の得意はもしかするとベートーヴェンかもしれない。

 

昔は、情感たっぷり自分に酔いしれながら弾くショパンが得意だった。

大いなる勘違いだが、

「自分でも惚れ惚れしながら弾くくらいだから、誰もが素晴らしいと思うに違いない」

と、真剣に思っていた。

若気の至りというやつだ。

 

食べ物でも洋服でも、「好み」はそう大きく変わるものではないだろう。

だがこの一年、苦手な曲ばかり徹底的に弾かされた私は、かつてと好みが変わったようだ。

変わったというより、当時弾けなかった弾き方ができるようになったため、選択肢が増えたというべきか。

 

 

話は変わるが、柔術の醍醐味の一つに「指で相手の袖を引っかけてコントロールする」という動きがある。

イメージとしては、袖に指の第一関節を引っかけてぶら下がる感じ。

手で握るわけではないので力を使っている自覚はないが、実際は少なからずどこかの筋力を使っているとは思う。

 

そして、柔術を3年も続けていると指の形が変形する。

袖に引っかけた指が道着と擦れることで、すべての指の第二関節はカサカサで固くなり黒ずんでいる。

第一関節は節くれだって平べったくつぶれている。

 

なにより私が驚いたのは「指の特徴」が真逆になっていたこと。

さんざん指を引っかけて練習した結果、握るよりも伸ばしているほうが自然な状態となってしまったのだ。

指が反りかえりそうなほど、ピンと真っすぐに固まっている。

 

このせいでピアノを弾く時、無意識に指が伸びていることに気が付いた。

 

弱い音を柔らかく弾くとき、手や指は脱力した状態を保ちたい。

だが指が勝手にピンとなるので、鍵盤に「触れる」というより「叩く」ような弾き方になってしまうのだ。

 

できればふわっと丸めた指の形をキープしたいが、無意識に指が伸びるため、必要以上に「ふわ」を意識しなければならない。

脱力することを意識的に行おうとすると、逆に力が入ってガチガチになる。

ーー昔はこんなこと気にしないで済んだのに

 

まぁこうなってしまったものは仕方ない。

このロボットのようにぎこちない指で、なんとか柔らかい音を出す工夫をしよう。

 

ピアノを再開した一年は「指」との戦いだった。

この不器用で動かない指をどうやって使える道具にするか、を考え続けた一年だった。

 

 

ベートーヴェンに限った話ではないが、たまたま今日から取り組む曲に面白いリズムが登場する。

 

左手で4つ弾く間に、右手で6つ弾く。

もちろん均等に。

 

この割り切れない感覚、音楽を嗜む人ならなんとなく分かるだろうか。

スパッといかないアンニュイな感じ。

 

左4、右6の前に、左2、右3が出てくる

それぞれ1拍目は同時に弾くので、右の2と3の間、もっと細かくいうと右の2寄りの2と3の間に、左の2を入れるのだ。

 

これは機械的には無理なので、感覚で捉えるしかないだろう。

とにかく、拍の最初と最後は合わせなければならないので、途中の「割り切れない部分」をなんとかうまく乗っけてまとめる。

 

ーーこんなややこしいリズム使わなくても

 

そう思いたいのだが、なぜか不思議と耳に残る、胸を刺すようなリズムでもある。

バラバラ追いかけっこをしていると思えば、最後はピシッと揃う。

少しずれている歯痒さが、よりムーディーに曲を彩る。

 

(これって人間関係も同じだな)

 

うまくかみ合わない者同士が一つになったとき、想像以上に未知なリアルが生まれる。

まさかそうなるとは予想だにしない、複雑で魅力的な何かが。

 

そんな遊び心に口元を緩ませつつ、ベートーヴェンとの再会に感謝する。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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