硝子体の中  URABE/著

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攻撃的な鮮やかさの青空と、鬱陶しいほどの圧力を放つ太陽が、わたしの視界の自由を奪い進路を妨げる。

 

 

いよいよ夏本番。

容赦なく突きつけられる真夏の洗礼とやらに、わたしはただ立ち尽くすのみ。

 

なぜなら今、わたしの瞳孔は完全に開いているからだ。

 

もし警察官から職務質問をされたら、確実に「覚せい剤使用者」としてしょっ引かれるだろう。

そのくらいフルスロットルな瞳は、屍のような虚ろな表情を醸し出している。

 

(まぶしすぎて目が開かない)

 

眼底検査を終えクリニックを出た瞬間、ムカつくほどの澄んだ青空がお出迎え。

網膜の状態が悪化していなかったことは嬉しいが、無防備に全開な瞳孔に対して、この「眩しさの圧」は強すぎる。

 

あまりの強烈さに一歩を躊躇し、その場で佇(たたず)み目を閉じる。

 

タクシーを止めたくても車が見えない。

辛うじて見えたとしても、日差しの反射でタクシーかどうかの判断がつかない。

 

暗闇から明るいところへ移動すると、しばらくは眩しくて目を開けられない、という経験は誰しもあるだろう。

しかし徐々に慣れていき、1分もすれば目を開けられるようになる。

これは、暗いところで全開だった瞳孔=絞りが、明るさに応じて絞りを調整するためだ。

 

ところが今のわたしは、薬によって強制的に瞳孔が開いているため、自力で絞ることができない。

 

これはある種、拷問に近い苦しさだ。

 

網膜の手術の際、目玉にレンズをはめ込み、まばたきを制限しつつ全開の瞳孔へ強い光を照射される。

閉じることのできない目からはポロポロと涙がこぼれ落ちる。

 

突き刺すような強烈な光を、強制的に見なければならない。

音もなければ衝撃もない。ただただ、目に見えない「圧」を伴う痛みが目を襲うーー。

 

目玉を固定されるだけでなく、座っているわたしの背中を2人の看護師が押さえつけており、身動きが取れない。

手術中だから動く必要もないが、これを拷問と考えると合点がいく。

こんな人生しか選べない自分を呪いたい。

 

・・・なんて妄想に耽りながら、手術を乗り越えた記憶がよみがえる。

 

それにしても今日は、やけに厳しい環境下で散瞳しちまったもんだ。

 

完全に閉じたまぶたを、うっすらと、髪の毛一本分だけ開けてみる。

すると、グラッシュビスタのおかげでフサフサになったまつ毛が、黒いレースのカーテンのように目の前の光を遮ってくれる。

 

(アレ?おかしい)

 

まつ毛はタテに、黒い鉄格子のようにそびえ立つ。

ではこの横に広がる黒い模様は、なんだ?

 

(・・・飛蚊症だ)

 

飛蚊症(ひぶんしょう)は、目玉の中央を満たしているゲル状の硝子体(しょうしたい)に、何らかの原因で「影」や「濁り」が生じ、それが黒い点や線、くゆる煙やゴキブリの足のような形状で映る症状を指す。

 

ちなみに、生理的な飛蚊症は問題ないが、あるとき突如、鮮明な「黒」が現れた場合は要注意。

網膜裂孔や網膜剥離の可能性があるので、大至急眼科を受診してほしい。

 

そして一度現れた飛蚊症は、きれいに消え去ることはない。

発生当初から徐々に鮮明さを失い、数か月から数年かけて、水に溶けた墨のようにぼやけた輪郭になる程度。

 

その忌々しい存在であるはずの飛蚊症が、今、まつ毛とともに光の眩しさを遮る役割を果たしている。

 

毎朝、目を開けて一番最初に飛び込んでくるのがこの飛蚊症。

白い壁、白いマット、明るい場所では常に現れ視界の邪魔をする。

 

飛蚊症だけでなく過去の出血のなごりもあるため、目の前に半透明の簾(すだれ)が垂れた状態で、そんなフィルター越しの世界を見せられているわたし。

 

真っ白な壁紙を見たことは一度もない。

真っ青な大空を見たことも一度もない。

 

飛蚊症が現れるたびに不安と恐怖に苛(さいな)まれ、

「いっそのこと終わってしまえばいいのに」

と思ったり、

「いや、まだ頑張ろう」

と考え直したり、メンヘラギリギリのところで生きている。

 

そんな「負の要素」でしかない飛蚊症が、今日、初めて役に立った。

 

うっすら開けたまぶたの隙間から広がる微かな視界。

そこに立ちはだかるフサフサまつ毛と大量の飛蚊症。

この二種類の「黒いモヤモヤ」が、太陽光の眩しさを軽減しているという事実。

 

ーーなんたる皮肉!!!

 

視界がクリアでないことに怯える毎日。

それが今日に限って、視界がクリアでないことに助けられるとは。

 

 

こうしてわたしは、側から見れば「目をつむった状態」で、ゆっくりと歩き始めた。

 

わずかに入ってくる視覚情報と殺気を頼りに、一歩一歩慎重に歩を進める。

 

ーー誤解していた。飛蚊症は私の一部、いわば仲間だったんだ。

 

 

(完)

 

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