「皆さんこんにちは、皮膚ガースーです」

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何かの「におい」を嗅いだことで記憶がよみがえることがあるが、これは科学的に解明されている現象。

 

人間の脳の大部分は大脳でできており、「大脳新皮質」と「大脳辺縁系」の2つからなる。

とりわけ「大脳辺縁系」は、記憶のコントロールとともに喜びや悲しみ、怒りなどの感情をつかさどる。

なかでも人間の記憶や学習能力に関する「海馬」と、感情(とくに不安や恐怖)に関する「扁桃体」が、大脳辺縁系に存在する。

 

そして嗅覚は海馬や扁桃体と直結し、さまざまな反応を呼び起こす。

 

このシステムの流れから、人はにおいを嗅ぐことで懐かしさを感じたり、感情的になったりするのだ。

 

私は嗅覚と脳のつながりを科学的に理解していないにも関わらず、かなりの割合で感情や記憶と直結しているということを、10年前すでに肌感覚として認識していた。

 

 

暇田は30代後半のうだつが上がらない男。

お世辞にも褒めるところのないヤツのチャームポイントは、年下の私からいじられても常に笑顔ではにかむところ。

これでもか、というほどいじられても、えへへと嬉しそうにするメンタルはドMを超えた存在。

 

暇田の食事は独特、いや特殊。

カップラーメンにお湯を注ぐとフタをし、そのまま30分、長いときには1時間寝かせる。

他にもお弁当や牛丼、から揚げなど温かいものを買ってきてはデスクにセットすると、長時間放置。

 

「はやく食べないと伸びるじゃん!」

 

暇田の椅子を蹴りながら、私がおちょくる。

 

「うん、いいんだよ。いま熟成させてるからね」

 

嬉しそうに、穏やかな表情で答える。

 

ーーバカなの?

 

カップラーメンを1時間も寝かせたら、スープを吸ってブヨブヨの、なんとも表現しがたい、重く冷たい麺製品が出来上がるだけ。

それを大事そうに、そう、とても大事そうにコソコソと食べるのだ。

しかも美味そうに。

 

そんなある日、暇田が上司に怒られた。

正確には毎日怒られているのだが、その日は特にこっぴどく怒られた。

 

相性の悪い上司は丸林という、見た目が金正男(キム・ジョンナム)に似た男。

影の支配者だと勘違いしているが、実際はかわいい置き物のような存在。

 

そんな丸林が暇田を呼びつけ、烈火のごとく怒りだした。

 

「おまえさぁ、なんで毎回同じこと言わせるの?」

 

「あぁ、すいません」

 

「すいませんじゃないんだよ、なんで毎回ここをこうしてるのか聞いてんの」

 

「あぁすみません、気をつけます」

 

「気を付けるとかじゃなくて、なんで毎回間違えるのか聞いてんの!」

 

「はぁ、すみません」

 

たしかに毎回、同じ注意を受ける暇田。

しかしなぜか頑なに直そうとしない。

 

思うに、ヤツなりのこだわりがそこにはあるのだろう。

そんなこだわり捨てればいいものを。

 

その日の丸林はしつこかった。

ネチネチと暇田に詰め寄り、精神的に追い込む。

 

まるでグルグル巻きのチャーシュー状態の暇田。

そんな豚を哀れに思った私は、そっと後ろへ回り、景気づけに後頭部でもひっぱたいてやろうと思った。

 

そして背後に静かに立ったとき、なんとも異様なにおいを察知した。

 

(なんだこの硫黄化合物のようなにおいは)

 

また暇田がなにか企んで(食べ物を放置して)いるのかと、デスク周辺をチラ見するもこれといった食糧は見当たらない。

少し強めにクンクンする。

どうやらヤツの後頭部周辺から発せられている。

 

普段から決して「イイにおい」ではない暇田。

むしろクサいのだが、そのクサさが本人を象徴していて「らしい」とまで評価していた。

その「普段のクサさ」とは別の異臭が今、放たれている。

 

これは風呂に入っていないとか、そういった類のにおいではない。

明らかに新鮮な、現在進行形で作られている異臭だ。

 

この日を境に、暇田が怒られる度にヤツの近くへ行き、体臭を確認した。

 

するとやはり、怒髪天を衝く勢いで怒られたときは、あの硫黄化合物のような異臭を生成することが分かった。

 

暇田だからか、それとも人間は皆そうなのか。

その時点では気にも留めなかったが、先日、嗅覚と情動・記憶との関係に触れた際にふと思い出したというわけだ。

 

 

2018年10月、資生堂はストレスが原因で発生する、皮膚ガス中の「臭い成分」を特定したと発表。

 

日本経済新聞によると、

「心理的ストレスを感じる本人が、自ら発生させるSTチオジメタンを嗅いだ場合、疲労や混乱を感じ、緊張や抑鬱の原因になる」

とのこと。

 

そしてその実験内容は、

「心理的ストレスを与えた30~40代女性40人の皮膚ガスを採取。臭気判定士が調べた結果、共通の硫黄化合物系の臭いがすることを確認」

というもの。

これはまさに、私が感じた異臭と同じだ。

 

情動をつかさどる扁桃体とダイレクトにつながる嗅覚は、その人が置かれている不安や恐怖、怒りといった心情すらも「におい」として読み取る力がある。

 

ある種「異常なにおい」を放つ人と遭遇したら、その人に何かが起きているとみて間違いない。

注意深く観察し、その脅威が何かを突き止めてあげることで人助けになるかもしれない。

 

もちろん、人助けにはならないかもしれない。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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