骨伝導イヤホンの罠

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東京へ向かう新幹線の中で、私は一人ドキドキしていた。なぜなら、三つほど後ろの乗客が見ているであろう動画の音が漏れているからだ。最初は、

「車内なんだからスピーカーで動画見るなよ」

とイライラしていたのだが、あまりに音がデカいことに我慢ならなくなった私は、それとなく席を立ち音の発生源を確認しに行った。

 

犯人は40代後半、スーツ姿の男性。隣りの座席には土産と思われる紙袋がたくさん置いてあるで、おそらく出張の帰りであろう。

長野から東京までおよそ一時間半。多くの乗客は、寝るかスマホをいじるかで時間をつぶしている。そしてこの男性も新幹線の旅を満喫するべく、Netflixかなにかの映画かドラマを視聴している様子。

 

ここまではよくある話であり、多くの乗客が同じことを行っているのだから、特段珍しい展開でもない。だが問題は、この男性は耳にイヤホンをしているにもかかわらず、音がスマホ本体から出ていることだった。

不幸にも男性が装着しているイヤホンは、骨伝導式の耳掛けイヤホン。耳の穴はフリーで、イヤホンの振動部分をこめかみに当てることで、頭蓋骨を経由して内耳を震わせ、音を脳へ伝える仕組みになっている。よって、周囲の声や音は耳の穴から直接拾うことができ、骨伝導イヤホンからは接続先のデバイスで流れる音楽などが、振動と実際の音によって聞こえるのだ。

 

じつは私も骨伝導イヤホンを愛用しており、周囲の音を聞きつつ音楽も聴けるという性能に大変満足している。たしかに真横に人がいると、イヤホンから微かに漏れる音が聞こえるかもしれない。だが電車などでは、そもそも相手もイヤホンを装着していることが多く、こちらの心配が杞憂に終わる。

 

そんな骨伝導イヤホン、シーンと静まり返った新幹線内では、その音はイヤホンから聞こえているものなのか、はたまたスマホから聞こえているものなのか、判断を誤るおそれがある。

つまりこの男性、先ほどから食い入るように見ているその動画の音は、耳元のイヤホンからではなくスマホ本体から放たれているのだ。にもかかわらず、静かすぎる車内ではその事実に気付けない。なんならスマホの音量を上げて、さらにデカい音で楽しみ始めた。

 

この状況に同情できなくもない私は、男性の横を通り過ぎてデッキに向かい、ゴミ箱へコーヒーの紙コップを捨ててから、再び男性の横を通り過ぎると自分の席へと戻った。

(一言、声をかけてあげればいい。イヤホンが接続できていませんよ、と)

かくいう私も同様のミスをしたことがある。接続しているつもりがスマホ本体から音が出てしまい、周囲から白い目で見られたことが何度もある。むしろこれは「Bluetoothイヤホンあるある」だろう。

 

だが、どうしても声を掛けることができなかった。それはなぜかというと、男性が見ていた動画はややエッチな、そう、アダルト向けの動画だったからだ。

ちなみに、男性の名誉のためにもこれだけは断言する。彼は決して、アダルトビデオを見ていたわけではない。ただ、塗れ場というかベッドシーンというか、大人の色事が頻繁に出現する内容の作品だったのだ。

 

気づけばもう軽井沢を過ぎている。となると次は高崎、そして大宮を過ぎれば上野で、終点の東京は目と鼻の先。

ちょうど眠気が襲ってきたし、このまま寝てしまおう。他人の行動に左右されるほど、私はヒマでもヤワでもないのだから――。

こうして私はまぶたを閉じた。今日までの出来事、そして今夜の予定などを頭の中で反芻するうちに、いつしか眠りについていた。

 

「あぁっ、待って!!」

 

とんでもない叫び声で目が覚める。ドキドキしながら耳を澄ますと、やはりあの男性の席からだ。ということは、まだ動画は終わってはいないのか――。

(しかしなぜ、前後左の乗客はこの事実を教えてあげないのだろうか?むしろ、うるさくないのだろうか?)

疑問に思った私は、ちょっと腰を浮かせると思い切って振り向いた。すると、男性の前後左の乗客全員と目が合ったのだ。

 

(・・・あぁ、そういうことか)

 

謎は解けた。この車両にいる誰もが私と同じことを考えており、そのくせ誰も実行に移すことができなかったのだ。

東京まであと少しというところで、今さら声をかけて何になる。男性を辱め、立ち直れないほどのトラウマを植え付ける可能性だってある。であればあと少し、我々乗客が我慢しようではないか。

 

そんな私の横を、「我関せず」と顔に書かれた車掌が、スタスタと通り過ぎて行った。

 

サムネイル by 希鳳

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